リオデジャネイロ五輪に暗い影を落とした、ロシアによる国ぐるみのドーピング隠し。以前あらたにすでも取り上げられ(ロシア陸連 仕組みを叩くチャンス)、ドーピングの影に潜む個々の選手の経済的事情にも焦点をあてました。五輪の存続に関わりうるきわめて重大な課題であり、世界反ドーピング機関(WADA)によって調査が進められています。その調査チームが9日に最終報告書を発表しました。
衝撃的なのは、規模の大きさです。2011~2015の夏冬五輪、パラリンピックでは1000人を超えるロシア選手が関与し、30以上の競技で陽性反応の隠ぺいがあったと指摘されています。科学的な分析が進められ、巧妙な手口も明らかになりました。水やコーヒーをすり替えた尿に加えて色の調整を行っていた事実や、割らない限り開けることができない尿検体ボトルの特殊な蓋の開封方法についての記述もあります。さらに、証拠とされる電子メールや書類が公開され、本来はドーピングを取り締まるべき組織の腐敗も明らかになりました。
国家主導での不正の背景には、スポーツを国威高揚に用いるロシアの思惑があるようです。国際大会で勝利を収めることによって、国の存在感を示すだけではなく、国民の一体感を醸成させて政権の求心力を高めようとするものです。その手段としてアスリートが利用されていたことに、筆者は強い憤りを感じます。ドーピングを強要された選手もいるのかもしれません。
しかし国家の関与を巡ってWADAとロシアの主張は平行線をたどり、未だに抜本的な改革は行われていません。国や選手に対する迅速で厳格な処罰が不可欠だと思います。国際陸連は2017年もロシア選手の資格停止処分を継続する判断を下しました。クリーンな選手が出場機会を奪われることやこれ以上アスリートが国や組織の犠牲になることを避けねばなりません。今回の事件で、WADAと各国の反ドーピング機関との連携ではドーピング根絶が不可能であることも露呈されました。今後は世界規模の徹底的な管理とルール作りが求められます。
フェアプレーが保障されず、また私たち観客が疑いの目でアスリートを見ることで、スポーツや五輪の醍醐味や価値をなくしてしまう危険もはらみます。権力に負けないチェック体制を強化する一方で、スポーツマンシップの育成もカギとなるでしょう。薬がもたらす健康被害や競技人生を絶たれるリスクを理解し、社会に影響を及ぼしうるアスリートとしての自覚を養う反ドーピング教育も有効的です。これまで五輪で一人の故意のドーピング違反者を出していない日本が旗振り役を務め、世界に向けた積極的な情報発信や取り組みを広げていくのもよいかもしれません。
参考記事 11日付け 各紙 「ロシアドーピング問題」関連面