シベリア抑留 新資料

 3月になって、新聞を取りに玄関へ出るのがだんだんと楽になってきました。今朝の東京の気温は11℃と、春の到来を感じます。では、同じ日のシベリア主要都市の最低気温はというと、

ベルホヤンスク:-37℃
オホーツク:-15℃

この想像を絶する寒さの中、石炭堀りや建設工事で何年も働かされた人々がいます。シベリア抑留の記録が、また一歩全容の解明に近づきました。

 かつてシベリアに抑留された57万5000人のうち、樺太(現サハリン)・北方領土・千島で抑留された28万8655人の詳細な記録が、ロシアに残っていることが明らかになりました。これは帰国させる人々を最後に集める送還収容所を中心にまとめられた文書で、抑留者の動きや生死が詳細に記録されています。例えば、日本に帰れなかったのは合計1069人で、うち631人の軍人が労働のため連れ戻されています。 
 
 読売新聞の9面には、亡くなった人々の名簿が公開されていました。身元の特定が一層進みそうです。この問題について、ロシアはすでに謝罪し、20年以上も前から志望者の調査などで日本と協力しています。強制労働や飢えで亡くなった人々の遺骨は、ゴルバチョフ大統領の訪日をきっかけに、1991年から返還が始まっています。
 
 しかしながら、全容が明らかになるのは時間がかかるかもしれません。未だに平和条約を締結していない日本とロシアにとって、極めて政治的な問題だからです。昨年の10月、シベリア抑留に関する資料である「舞鶴への生還」が世界記憶遺産に認定されました。しかしながら、登録の直前になって、「ユネスコの政治利用につながる」として反対を表明しました。

 難しさもあるでしょうが、時間は有限です。戦争から70年以上が経過し、抑留を体験した人はどんどん少なくなっています。全容を明らかにすることで、まずは話を先に進めなくてはなりません。「あの人たちはどうなったのか」という切なる声にこたえるためにも、ロシアの協力と調査が不可欠です。

参考記事:7日付 読売新聞(東京13版)1面 「シベリア抑留に新資料」

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