ここ数週間の紙面には、戦後70年ということもあって「戦後の主な出来事」と銘打った年表が載っていることが多いように思います。日本史の教科書で言えば、「現代史」として最後の章に書いてあることが多いでしょう。まだハタチになったばかりの私にとって、思い出せるのは9.11あたりからにすぎません。悲しい画像も多いですが、それでも見ていて毎度思うのは「よくここまできたな」という感心です。
日本の立場や現代世界への見方は、その人の立場によって異なります。先日、八王子市の郊外・浅川で起きた湯の花トンネル銃撃事件の慰霊祭の取材に同行させていただきました。70年前の8月5日、長野行の列車が米軍機の銃撃を受け、50名近くの死者を出した事件です。当日は真夏日、列車は満員でした。いかに壮絶な現場であったか想像に難くありません。「あなたが生きていたら、こんな平和な時代を一緒に味わえたのにねえ」。銃撃で姉を失ったおばあさんの話していた言葉です。この言葉は私に大切なことを気づかせてくれました。
なぜなら、新聞の国際面や国際政治の参考書をめくっていると、時に現代社会は救いのない弱肉強食の世界に思えてくることがあるからです。しかし戦争を味わった人々にとっては、今の世界はまだ平穏で、現状を守ることこそが全てかもしれません。では、戦争にひた走った人々からは、当時の世界はどう見えていたのでしょうか。10年後の2025年に再び振り返って、日本の歩みが間違っていなかったと思えるかどうか。また、我々が世界へ抱く不安を小さくできているかどうか。これが日本の命運を分けるのではないか。ふと、こう感じた瞬間でした。
読売新聞の連載「戦後70年」の最後を飾ったのは、日本人初の国連職員となった明石康さんのインタビューでした。「祈るだけの平和」から「創る平和」を目指すべき。明石さんは人道支援やPKOを念頭にこう語ります。私は明石さんのインタビューに加えて、平和を創る活動は日本自身のイメージさえ創るのではないかとも感じています。
常日頃考えない、忘れかけたことを節目ごとに考えさせてくれるのもメディアの大きな役割の一つです。読者の皆さんは戦後70年の報道にどう考えたでしょうか。「君たちに過去の戦争の責任はないが、二度と戦争を起こさない責任はある」。アウシュビッツ収容体験者の言葉が思い出されます。新聞の年表にある戦後日本の歩みを再び読み直して、次の10年を始めたいと思います。
<参考記事>
8月16日付 読売新聞朝刊13版 1面『戦後70年 あの夏』