馬立誠氏再び 関係改善の糸口に

懐かしい名前が記事になっていました。2000年代に日中両国の論壇で大反響を呼んだ「対日新思考」が、戦後70年の今年に再び登場です。

「体制内改革派」–この言葉は中国では語義矛盾を起こすだろうと思っていました。言論の自由のない中国で、社会の変革を訴えることは簡単なことではありません。反日ドラマが絶え間なく放送され、SNSは常に見張られている。昨今の言論統制を考えれば考えるほど、馬立誠氏の存在がますます重要なものに思えてきます。

中国で最も著名な評論家の一人である馬氏は、かつて2002年の論文「対日関係の新思考」で「理性的な対日関係」を構築することの重要性を訴えました。その彼が対日新思考に基づく論文を発表します。両国和解の条件として平和・反省・寛容の3つを挙げ、「中日の和解なくして、東アジアの安寧はない。カギは、憎み続けないということだ」と主張しました。

何より対日新思考の新しさは、中国自身の変化についての問題意識を明確にしている点にあります。中国共産党の機関紙「人民日報」の元論説委員であった彼の論は、決して日本の立場に立ったものではありません。日中関係に対して中国人があまりにも感情的になりやすく、それを認識することで民族主義的排他主義に自律的変化をもたらすことが重要である。それが彼の一貫した基本姿勢です。

10年以上前と基本的に変わらないはずの主張が、なぜ説得力を持つのでしょうか。「中国の対外強硬姿勢の真の目的とは」「韓国の主張の歴史的背景には」。日中・日韓関係を取り上げる日本のテレビ番組には、相手のことばかりを書き連ねたタイトルが躍ります。どんどん中国や韓国のことは詳しくなるのに、足元の日本のことは意外と知らない。馬氏の主張が、自由の保障されたはずの日本にも当てはまってしまうように感じるのは、筆者だけでしょうか。彼が問題とする「理性的な姿勢の欠如」は中国のみならず、どこでも誰でも陥りやすい罠だからなのでは、と思ってしまいます。

「幸いなことに中国社会にも寛容さがある。私の観点の存在を許していること自体が、進歩だと思う」。インタビューの最後の言葉が印象的でした。にもかかわらず読売新聞がまとめた表からは、「対日新思考」発表の後も、日中関係が危ない綱渡りを強いられてきたことが読み取れます。そりが合わないのは、何もかも相手が悪いのか。誇りを持って、自分は寛容な立場を取っていると言えるか。馬論文を契機に、私たち日本人も自分勝手な思い込みに陥っていないかを考えてみてはいかがでしょうか。そうすることで初めて、地に足のついた説得力のある主張ができます。

 

<参考記事>

7月8日付読売新聞朝刊(13版) 総合2面「和解 中国の寛容不可欠」

7月8日付読売新聞朝刊(13版) 国際9面「理性的姿勢 中国に訴え」

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