文月は「言論の自由」思う月?

“JE SUIS CHARLIE”(私はシャルリー)。今年1月7日に起きた、フランスの新聞社「シャルリー・エブド」襲撃事件を受けて、パリでは市民が「表現の自由」を訴えました。エッフェル塔にハイブランドのお店、優雅なパリジェンヌ。そんなパリのイメージが一気に混沌とした空気に包まれ、衝撃を受けました。テレビ画面でそのニュースを見ていた私は、食い入るようにデモの様子を眺めていました。「表現の自由」とは……。

日本では今、「言論の自由」を考えるときがきています。先月25日にあった勉強会「文化芸術懇話会」での、作家百田氏の発言が物議を醸しているからです。「沖縄の二つの新聞社は絶対につぶさなあかん」。勉強会に出席した別の議員は、「マスコミを懲らしめるには、広告がなくなるのが一番」と発言しました。「言論の自由」があるとすれば、この二つの発言もそれぞれ権利として守られている。「表現と言論の自由は百田さんにもあるやん」。大阪府の松井知事はそう述べています。また、今回の百田氏の発言に対して沖縄県議会は抗議し、「読者である沖縄県民をも侮辱するもので、到底看過できない」と批判しています。

これまで、安倍首相の発言が報道威圧ではないかという議論もありました。世界の経済・統計情報サイトによると、日本の報道の自由度は61位。上位は北欧の国が占め、日本は先進国の中でも報道の自由度が低いことが伺えます。「言論の自由」とは何なのでしょうか。

思想家の内田樹さんは、「言論の自由とは言論が行き交う場に対する敬意、信認のこと。人間の集合的英知に対する信頼が言論の自由です」と述べています。「メディアに対してつぶれろとか黙れという人の発言を、言論の自由だからと認めたら、遠からず言論の自由はなくなってしまう」。また、立命館大学の市川正人教授(憲法学)は、「言論の自由は民主主義に不可欠なもの」と説明しています。

筆者は、将来は報道に携わりたいと考える学生の一人です。これからのメディアをつくっていくのは私たち若い世代です。将来のメディアのためにも、今もう一度「表現の自由」や「言論の自由」についてしっかりと考えるべきなのではないかと思います。「自由だ、自由だ」と訴える前に、発信する側もそれを受け取る側も「情報」と真摯に向き合うことも大切ではないかと考えます。

読者の皆さんは、今回の発言に対し何を思いましたか。内容はどうであれ、すべての発言は「言論の自由」として守られるべきのでしょうか。「自由」とは簡単なようで、なんとも難しい言葉です。

 

参考記事:

3日付 朝日新聞朝刊(大阪14版)1面『報道威圧への危機感「共有したい」』,4面(総合)「内から苦言」,33面(社会)『「言論の自由」とは』

 

同日付 読売新聞朝刊(大阪14版)4面(総合)「沖縄県議会が抗議決議」