「体験者なき戦後」加害と被害伝えるための戦跡保存を

「ながい…ながい…くらい…くらい… この窖(あな)どこまでつづくのだ」。松代象山地下壕の暗闇に立ったとき、ふとこのセリフが頭をよぎった。

差別や歴史の波に翻弄される在日朝鮮人の苦悩を描いた、手塚治虫の短編作品『ながい窖』。今夏に復刻し、約1カ月で4刷と版を重ね、話題となった。

(松代象山地下壕の内部 長野県公式観光サイトより)

象山地下壕と朝鮮人犠牲者

太平洋戦争末期のことだ。軍部は本土決戦に備え、全軍を指揮する大本営や政府機関、さらに皇居などを移転させるための巨大な地下壕を極秘のうちに建設した。それが松代大本営であり、象山地下壕はその一部にあたる。総延長は約6キロメートルにも及び、現在はそのうち約500メートルが見学用として公開されている。

掘削工事の労働力として、朝鮮人も動員された。その中には、強制的に連れてこられた人々も含まれていたとされる。過酷な労働環境の下、彼らは「三角兵舎」と呼ばれる簡易宿舎で暮らした。隙間風が吹き付ける寒さで満足に眠れない。主食はコーリャンなどの雑穀で、栄養失調により命を落とす者もいたという。

(2026年9月10日 筆者撮影  地下壕の入り口付近に立つ、朝鮮人犠牲者慰霊碑)

消失する戦跡 「体験者なき戦後」の課題

2025年にNHKが実施した調査によると、全国の主要な戦争遺跡の約2割が残っていない。主な理由は、「開発に伴う解体」が36%、「経緯不明」が26%を占める。

戦跡のあり方を考えるとき、筆者はある課題を感じる。それは、空襲や原爆などの「被害」の戦跡に比べ、過酷な強制労働や暴力の跡を象徴する「加害」の戦跡の方が、より残りにくいのではないかという点だ。

自国民が犠牲となった被害の記憶は、「平和への誓い」や「犠牲者への哀悼」として保存の意義が受け入れられやすい。一方で、他国や他民族への加害を示す遺構は、「負のイメージがつく」といった抵抗感から、保存の優先順位を下げられたり、再開発の中で意図的にか埋もれたりしがちなのではないだろうか。

象山地下壕でガイドを務める男性は、こう語る。「戦争は最大の人権侵害です。戦争の実態を知らない人にこそ来てほしい。実際に足を運んでこの暗闇に立てば、感じ取れるものが必ずあるはずです」。

「被害」と「加害」両方に向き合う そのための戦跡保存を

戦争の悲惨さが語られるとき、私たちはともすれば「被害の歴史」だけに目を向けがちになる。悲劇を忘れず悼むことは重要だ。だが同時に「加害の歴史」とも正面から向き合わなければ、歴史の全体像を捉えることはできない。

現在の象山地下壕内には、電灯が灯る。だが、ひとたび灯りが消えれば、そこは漆黒の世界だ。当時の人々が置かれていた物理的・精神的な暗闇の深さを思わずにはいられなかった。

「体験者なき戦後」だからこそ、語り部としての遺構を守り抜くこと。そこから、加害と被害の双方を学び続ける姿勢が求められている。

 

参考記事:
2026年7月14日付 朝日新聞デジタル 「手塚が描いた差別、時超え響く問い 「ながい窖」復刻版が発売1カ月で4刷」https://digital.asahi.com/articles/DA3S16502859.html?iref=pc_ss_date_article

参考資料:
2025年8月10日 NHK「教訓伝える「戦争遺跡」約2割が残存せず 継承するには…」(最終閲覧:2026年10月25日)https://news.web.nhk/newsweb/na/na-k10014890241000