21歳の今、学徒出陣の写真を見つめて

今月、筆者は21歳になる。生まれてから21年も経ったかと思うと、時の速さを実感する。今日まで友達や家族らに支えられながら、日々を過ごしてきた。特に今年は就職活動をしており、これからどんな未来を描いていこうかと期待に胸を膨らませている。

 

しかし、かつてこうした当たり前を奪われた若者たちがいた。

 

今から80年以上前。世界は第二次世界大戦の渦中にあった。戦争が長期化するなか、各国は総力戦へと突入していった。日本では1943年に、それまで徴兵延期が認められていた文系大学生らも戦争に動員されるようになった。私が通う名古屋大学の前身にあたる旧制第八高等学校の学生もその対象であった。「愛知 名古屋 戦争に関する資料館 巡回展ー名古屋空襲と大学生(学徒)たちー」では、旧制第八高校の学生が出陣する様子が紹介されていた。

「八高」(現在の名古屋大学)の入営学徒壮行会(2026年10月15日筆者複写)

写真に写るのは、私と同年代の若者たちだ。彼らはどんな想いで戦地に向かったのだろうか。もっと勉強したくはなかっただろうか。もっと友人と過ごしたくはなかっただろうか。将来の夢があったのかもしれない。だが、それらを叶えることなく命を落とした人もいたかと思うと、胸が苦しくなった。

 

展示では、名古屋が空襲でどのような被害を受けたのか、戦時中に市民がどのような生活を送っていたのかも紹介されていた。爆撃は42年4月に始まり、計63回に達した。死者は約8000人に上るといわれている。

 

展示で目を引いたのは、アメリカ軍の攻撃目標についての資料だ。そこには、軍需工場をターゲットとするだけでなく、人が密集する地域も対象であったことが記されていた。総力戦のなか民間人の戦意喪失を狙ったのだろうが、そこに暮らす人々の命が軽んじられるなんてことがあってよいはずがない。

 

展示の中で特に目を引いたのが、焼夷弾の実物だ。ケースの中に納められているそれは、ただの鉛の塊に見えた。目の前にあるこの無機質な塊が、ある日突然空から降ってきて、家や街を燃やしたのだろうか。家族や友達や、大勢の人の命を奪ったのだろうか。

M69焼夷弾・小弾(2026年10月15日筆者撮影)

焼夷弾の火を消すことを想定した、消火ビンも展示されていた。だがあまりにも激しい爆撃に、消火が追いつかなかったのだろう。

消火ビン(2026年10月15日筆者撮影)

 

第二次世界大戦で、人類は数え切れないほどの犠牲を払った。にもかかわらず、現在も世界各地で戦争が勃発している。近年は国際社会の緊張が高まり、多くの国で軍事費の増大が目立つ。

 

戦争を経験していない私には、当時の人たちの苦しみの全てを理解することはできない。それでも、歴史を学び、誠実に受け止め、未来に繋げることはできるはずだ。展示を見終えて、こんな時代だからこそ自分自身、何ができるのかを考えて生きていきたいと強く思う。

 

取材先:

愛知 名古屋 戦争に関する資料館 巡回展ー名古屋空襲と大学生(学徒)たちー

参考資料:

未来に残す戦争の記憶 愛知県の空襲被害 愛知県の空襲被害 – 未来に残す戦争の記憶 – Yahoo! JAPAN (2026年10月17日閲覧)