無知を恥じた、東日本大震災の被災地で

2026年9月、筆者は初めて東日本大震災の被災地、そして福島県を訪れた。震災から15年以上が経過した今頃になってようやく現地に足を運んだこと、そしてこれまでこの現実にどこか無関心でいた自分自身に対して、恥ずかしさを強く感じずにはいられなかった。

特に衝撃的だったのは中間貯蔵施設の風景だ。「施設」という言葉から、整然とした巨大な建物や倉庫の中にすべてが収まっていると勝手に想像していた。しかし、確かに受け入れや分別のための建屋はあるものの、中間貯蔵施設の実態は大きく異なる。1,600ヘクタールもの広大な土地に広がるのは、除染土が詰め込まれた黒い袋「フレコンバッグ」が山のように積み上げられ、敷地を埋め尽くしている光景だった。

(9月12日筆者撮影 福島県大熊町、積み上げられるフレコンバッグ)

現地での衝撃を受け、遅まきながら問題の背景を詳しく調べるようになった。中間貯蔵施設は事故で生じた除染土壌などを一時的に保管する仮の場所に過ぎず、2045年までに福島県外で最終処分を完了させることが法律で義務付けられている。黒いフレコンバッグが埋め尽くす当面の保管地ですら、地域に多大な負担を強いているというのに、肝心の最終処分場は全国どこにも決まっていない。

そうした中、2026年9月30日には茨城県常陸大宮市の鈴木定幸市長が、最終処分地選定の第1段階にあたる文献調査受け入れを正式に表明した。北海道の寿都町と神恵内村、佐賀県玄海町、東京都小笠原村に続く全国5例目であり、本州の自治体としては初めての決定だ。だがこれはあくまで調査の第一歩に過ぎず、処分地の決定までは遠い道のりが続く。

処分場の問題は決して他人事や遠い地域の話ではない。現地で目にした黒いバッグの山と、己の無知・無関心への恥ずかしさを胸に刻み、常陸大宮市の動向も含めて、まだ答えの出ていないこの切実な未来の課題を注視し続けていきたい。

 

参考記事:

2026年9月30日付 朝日新聞 『「核のごみ」文献調査、茨城・常陸大宮市長が受け入れ表明 本州で初』

https://digital.asahi.com/articles/ASV9Z24FRV9ZUJHB009M.html

2026年10月1日付 日経新聞 「常陸大宮市、文献調査受け入れへ 核ごみ処分場選定 国内5カ所目 住民説明会なく表明」

https://www.nikkei.com/article/DGKKZO99040780Q6A930C2EP0000/