先日、学習指導要領の改定案がまとまりました。学習にAIを活用する一方、そのリスクについてもリテラシーを高めることが示されています。子供の日常にもAIが浸透してきているわけですが、筆者も大学生活においてAIの存在を常日頃から感じています。筆者自身はこれまでAI、特に生成AIとどのように向き合ってきたかを、振り返ってみました。
AI自体は、小学生の頃から学校の授業や新聞で話題になっていたことを覚えています。しかし、強く意識するようになったのは、生成AIが大学で普及し始めた2024年頃です。当時は必要性を感じず、実際に使ったことはありませんでした。その年の秋、大学で出された課題にひどく苦戦していました。自分自身の力のみで取り組むことに限界を感じて友人に相談したところ、生成AIを勧められました。初めてチャッピー(ChatGPT)を使ってみると、自力では解決の糸口を見つけられなかった課題を難なく終わらせることができました。
この一件以降、自力ではどうしようもならないと感じたときにはAIを使うようになりました。次第に、自分でできそうなことまで「精度が高いから」「投げた方が早いから」という理由で、ますます使うようになりました。その一方で、このまま依存していてもいいのだろうかと感じるようにもなりました。自分自身の考えを持てなくなっていることに気づいたのです。そんなときに「あらたにす」のメンバーとして活動を始めることになり、これを機にAIを使わずに自分の意見を自分なりに発信しようと決心しました。
活動を始めてから今月で半年が経ちますが、自身としては変化を感じています。まず、生成AIの力に頼らずに考えることが苦にならなくなった、ということです。以前は、自身の力だけで考えることを恐れ、なんでもかんでも相談してみないと不安に感じていました。今は自力で考えるということに抵抗を感じなくなりました。むしろ、そちらを楽しいと感じています。もちろん、AIの方が「それらしい」意見を言えるとは思いますが、自身のこれまで培ってきた知識や経験から辿り着いた意見には、自分らしさを感じます。
さらに、以前よりも主体的に考えて動くようになったと感じています。自分自身の意見を述べるためにAIを避けるようになったことで、必然的に自分自身で情報を取りに行く姿勢が身についてきたように感じています。AIなら一発で最適な情報に辿り着けるかもしれません。しかし、敢えて自身の力で取りに行くことで、偶然の出会いが増え、世界が広がったようにも感じています。興味のなかった分野に触れ、新しい挑戦をすることも増えました。それらの影響を受けているという点では、AIの影響を受けているのと同じではないかという意見もあるかも知れません。ですが、機械に意見を考えてもらうのと、様々な人や物事の影響を受けながらも自分の力で考えるということは、異なります。AIだとその回答は問いに対し直接的に答えるものであるから大きな影響を受けやすいのに対し、自分自身が経験してきたことは問いに対しそのまま回答となるものではないためです。答えを導くまでの過程に、オリジナリティや自分らしさが生まれると考えます。
筆者としては、AIは便利であるものの、依存しない環境作りが大切だと考えます。この先、AIはますます高度な知能を持つようになるでしょう。しかし、ときに人のオリジナリティのある意見が、問題解決の突破口になるかもしれません。そのときのために、自分自身で考えることを大切にし続けたい。学校教育の現場にも組み込まれるAIとの向き合い方。子供が自分自身で考え、生きることができるよう、リテラシー教育だけではなく、依存を生まないような環境設計も考えていくべきだと思います。
参考資料:
・日本経済新聞デジタル 2026年9月1日「[社説]AIで学び深める指導要領に – 日本経済新聞」
・讀賣新聞オンライン 2026年9月2日「社説:新学習指導要領 AI時代に自ら考える大切さ : 読売新聞」
・朝日新聞デジタル 2026年9月4日「(社説)学習指導要領 学び続ける力 育むには:朝日新聞」