観音は今でも作り続けられる?大谷の巨大観音に込められた願いとは

日中の暑さも弱まり、雨さえ降らなければ過ごしやすい季節になりました。そこで、筆者がお勧めする栃木県内の観光名所、大谷平和観音を紹介します。石の街として知られる宇都宮市大谷地域の採掘場後に彫られた約27mの巨大観音です。

大谷平和観音(9月17日、筆者撮影)

突然ですが、観音様とは何者なのでしょうか。

観音信仰の始まりは紀元1世紀頃のインドです。その後、中央アジア、朝鮮半島を通じて6世紀頃には日本に伝わりました。日本仏教は密教系、浄土系、法華系、禅などに分かれますが、いずれの宗派でも観音は信仰されています。「観音経」では一切衆生を救うために三十三の姿に変化すると説かれ、「観無量寿経」では死者の魂を極楽浄土へ導く救済者と記されています。造形は経典に由来するものが多いのですが、時代や地域、製作者の個性によって様々です。

そんな観音に大きな変化が起きたのは明治時代。釈迦を実在の人物とする仏教学が主流となり、観音を仏そのものと考えることが難しくなりました。そして、観音は美術的な側面を強めながら昭和期に入ります。

階段を上ると観音の顔を間近で見ることができる(9月17日、筆者撮影)

日中戦争が始まると戦勝や護国、戦死者慰霊などを目的とした観音が作られました。日本の支配下であった東アジア各国の多くは仏教を信仰しており、そこでの観音は日本支配を正当化する「大東亜共栄圏」のシンボル的役割を果たしました。また、兵士や家族が観音に「弾除け祈願」をすることもあり、寺だけでなく公園などの公共空間にも広がりました。

太平洋戦争下では、アジアの興隆を祈願する「興亜観音」が誕生し、国境を越え敵味方も等しく供養する怨親(おんしん)平等の思想とも結びつきました。とはいえアメリカ軍など欧米側の犠牲者を供養することはなく、あくまでも大東亜共栄圏の思想のもとでの観音信仰が続きます。戦況が悪化すると観音も金属供出の対象となりました。また、出征した若い彫刻家が命を落としたこともありました。

終戦に近づくと本土空襲が始まり、「日本軍に撃ち落されたB29搭乗員が庭先で亡くなっている」ということも稀ではなくなってきました。死んでしまえば敵も味方も関係ないとの思いから民間人、宗教者によって敵味方関係なく慰霊できる観音が各地に作られました。そして、敗戦後は仏教を超えた平和の象徴となりました。アメリカ人の多くがキリスト教を信仰するため、マリア観音が作られたり、公共空間に設置するために宗教色を弱めたものが作られたり、モニュメントとしての要素が強く表れていきます。

戦後80年が経った広島(2025年8月6日、筆者撮影)

大谷石の採掘場の壁面に彫られた観音は、戦時中に2人の弟を亡くした上野浪造氏が平和を願って作ったものです。戦時中、大谷の地下工場に動員された上野氏が1948年に発願しました。東京芸術大学教授の飛田朝次郎氏に指導を仰ぎ、飛田氏が制作した原形をもとに、6年の歳月をかけて彫り上げられました。上野氏の鎮魂の念が地域住民や大谷観光協会を動かし、平和の灯火をともすシンボルとなったのです。

大谷平和観音は腕を衣のなかに入れた白衣観音です。近代以降に見られる白衣観音を取り入れた造形は飛田氏と上野氏ならではの作品だと言えます。平和観音は大谷寺の千手観音のお前立ちという位置づけから大谷寺が所有していますが、平和観音の前は公共の公園となっています。

腕を衣のなかに入れている(9月17日、筆者撮影)

観音様は仏教を基本としながら、時代に合わせて人々の願いを表現してきた造形物だと感じます。また、興味深いのは平和活動に関わり続けている点です。日本各地で平和観音が作られる頃、ベトナム戦争が起こりました。戦没者供養と平和祈念のための観音寄贈を進める昭和同願会は、ベトナム戦争の早期終結を願い、南ベトナム、米ジョンソン大統領、北ベトナムへそれぞれ平和観音を送りました。

ベトナム戦争で使用された軍事車両(2023年8月、ベトナムホーチミン市にて筆者撮影)

また、2011年に東日本大震災が起こると岩手県や宮城県に相次いで震災慰霊観音が建立されました。人々が多くの死に向き合う苦悩を持つ限り、観音像は作り続けられるのです。どのような意図で作られたのか。どんな思いで手を合わせるのか。観音に込められた願いを考えることは文字や映像資料とはまた違った手段で当時の思いに迫れるのではないかと感じます。

東日本大震災の津波の被害(2024年3月、福島県双葉町にて筆者撮影)

 

 

 

参考記事・資料:

2023年11月6日付 毎日新聞デジタル 首都圏、巨大観音像を巡る秋(https://mainichi.jp/articles/20231104/k00/00m/040/107000c)

総務省 一般戦災死没者の追悼 大谷平和観音(https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/daijinkanbou/sensai/virtual/memorialsite/tochigi_utsunomiya_city002/index.html)

「観音像とは何か」君島彩子、2021年