原発の恩恵、その「報い」を背負うということ —福島県大熊町・木村紀夫さんが問い続ける15年

福島県大熊町に生まれ、震災の日まで家族6人で暮らしていた木村紀夫さん。あの日、父と妻、そして当時小学1年生だった次女の汐凪(ゆうな)さんが津波にのまれ、犠牲となった。震災発災から15年が経つ今も、汐凪さんの遺骨の約8割が見つかっていない。

初夏の日差しが照りつける中、2026年5月2日から5日にかけて、汐凪さんの遺骨捜索が行われた。沖縄で戦没者の遺骨収集に尽力する具志堅隆松さんをはじめ、富岡町と東京の2拠点生活を送る劇団員や記者を志す学生たちなどがボランティアとして駆けつけた。

普段人間が立ち入ることのない土地には、草木が生い茂る。15年前から時が止まったように見える一方で、土を掘り進めるたびに顔を出す蟻やミミズの姿に、人間以外の生き物の生活は続いているのだと思い知らされる。

 

(2026年5月5日 筆者撮影 捜索現場の様子)

木村さんの自宅跡は、除染で生じた汚染土壌を保管する「中間貯蔵施設」のエリア内にある。地権者の約8割はすでに国へ土地を売却したが、木村さんは首を縦に振らない。「汐凪が見つかっていないのに、売れるわけがない」。

汐凪さんの遺骨の捜索は、長い間、孤独なものだった。13年からはボランティアを受け入れ始めたが、当初は高い空間線量への懸念から葛藤もあったという。しかし、「放射線なんか関係ない」と駆けつけた人々に背中を押された。がれきの中から家族の遺品が見つかるたび、ボランティアらの表情が和らぐ。その光景が、木村さん自身の癒やしにもなっていった。

捜索4日目の5日には、木村さんの案内のもと、汐凪さんが通っていた熊町小学校や熊町地区公民館等を巡るフィールドワークが行われた。

「この汚染は誰がやったのか」。木村さんは東京電力の責任を指摘しつつも、その電力によってもたらされた豊かさを享受してきた自分たちも無関係ではない、と説く。

 

(2026年5月5日 筆者撮影
大熊町でフィールドワークを行う木村紀夫さん。手にしているのは汐凪さんの写真)

 

かつての大熊町には、原発関連の交付金によって建てられた豪華な施設が並んでいた。木村さんが、1万人の町には不釣り合いだと語る立派な体育館や図書館などだ。

しかし、原発の恩恵を受けてきたのは、果たして大熊の人々だけだっただろうか。遠く離れた都市で電力を使い、利便性を享受してきた私たちもまた、この構造の当事者だ。恩恵を等しく分け合いながら、その「報い」をこの町の人々に押し付けてはいないか。

普段都市部で生活する若者たちにとって、大熊は遠い地のように感じるかもしれない。だが、スイッチひとつで明かりが灯る私たちの生活は、今も娘を探し続ける木村さんの日々と間違いなく地続きにある。

過去の過ちを繰り返さないために、まずはこの不釣り合いな構造を「人ごと」で済ませないこと。それが、震災から15年が経った今を生きる私たちの、最低限の責任ではないだろうか。