1987年5月3日、午後8時15分。朝日新聞阪神支局に目出し帽をかぶった何者かが侵入し、散弾銃を発砲しました。この襲撃により、29歳の小尻知博記者が命を落とし、42歳の犬飼兵衛記者が重傷を負いました。この事件は「赤報隊事件」とも呼ばれ、日本において記者がテロによって命を落とした唯一の事件になります。事件から15年が経過した2002年、公訴時効が成立しました。そして現在もなお、この事件は未解決のままとなっています。
事件から39年という月日が流れ、この出来事を知っている人は必ずしも多くないのかもしれません。私たちの親世代以上であれば、当時の衝撃が記憶に残っている方もいらっしゃるでしょう。しかし、若い世代にとって、記者が言論を理由に物理的に襲撃されるという事態は、あまりに過激で想像もつかないことのように感じられるのではないでしょうか。
風化する記憶と、現代の対立構造
時の経過とともに出来事が風化してしまうのは、ある種の必然かもしれません。しかし、近年の言論状況を見ると、危うさを感じます。SNS上では「マスゴミ」や「オールドメディア」といった言葉が飛び交い、「SNS vs マスコミ」という対立構造が出来上がっているように見受けられます。
私たちは「フィルターバブル」と呼ばれる、自分と似た意見ばかりが流れてくるネット環境の中で、知らず知らずのうちに自分がマジョリティーであるかのような錯覚にとらわれがちです。しかし、たとえマジョリティーだったとしても、マイノリティの意見を力でつぶす権利などどこにもありません。異なる意見を持つ相手の立場を尊重し、対話を進めることの大切さを考え直すべき時ではないでしょうか。
姿を変えた「暴力」
5月2日付の朝日新聞社説では、暴力的になる世界情勢を前に、被害の当事者として「弔意を胸に、暴力にも暴言にもひるむことなく、正々堂々と声を上げる」と強い決意をあらわにしています。
また、5月4日の朝刊には、事件当時、小尻記者や犬飼記者と現場にいた高山顕治・朝日新聞ブランド企画部主査の取材記事が掲載されました。高山氏は当時の状況を振り返りながら、現代の状況をこう危惧しています。
「あの時は散弾銃だったが、SNSでの誹謗中傷など、闇に隠れて人を攻撃する風潮は今もある。おかしいことはおかしい、と声を上げられる社会であってほしい」
39年前の犯人が手にしたのは散弾銃という凶器でしたが、現代のSNSにおける誹謗中傷もまた、時に人の命を奪うことさえある、れっきとした「暴力」です。ヘイトスピーチなど、他者を傷つける手法が多様化し、闇に紛れて攻撃が行われる現代の状況は、当時以上に危険な状況だと思います。
「赤報隊事件」は、銃による襲撃という越えてはならない一線を越えた凶行です。一人の若い記者が命を落としたこの重い事実に向き合い、39年経った今、言論の自由の尊さと暴力の危険さが隣り合う世界に思いをいたす必要があります。
参考
朝日新聞5月2日「(社説)明日もしゃべろう 銃撃の日 決意を新たに」
朝日新聞5月4日「阪神支局銃撃39年『暴力は許せない』」