12日、学内プログラムの一環で沖縄県・伊江島を訪れました。どのようなところであるのか、知らない人も多いのではないでしょうか。筆者もその一人で、那覇空港を離着陸する前後に機内から見える島という認識しかありませんでした。
直径約9km、外周23kmの伊江島
読売新聞「「沖縄戦の縮図」住民4割犠牲の島…
片言の日本語「デテコイ」応じずにいるとガス弾、
喉やられ今も声かすれ」より引用
伊江島は、美ら海水族館や昨年7月に開業したシャングリア沖縄がある本部半島の港から、フェリーで30分の場所に位置しています。人口は4,167人(2025年11月)で、農業(葉たばこ、紅いも、島らっきょうなど)、漁業、畜産業(主に肉用牛)などの一次産業が盛んです。
伊江島の中央には標高172mの城山(ぐすくやま)がそびえ立つ
古くから航海の目印として親しまれてきた
(2026年3月12日筆者撮影)
伊江島の自然
島の中央には、城山(ぐすくやま)がそびえ立っており、特異な形は目を惹きます。通常、岩盤は地層のように新しいものが古いものの上に積み重なりますが、城山では真逆になっています。つまり、本来は地中深くにあるはずの古い岩塊が、新しい地面の上に乗っているのです。これはオフスクレープ現象と呼ばれ、世界中で伊江島でしか見ることができない非常に珍しいものです。
伊江島の歴史
伊江島は戦時中、大きな被害を受けました。平坦な地形ゆえ、かつて軍事上の重要拠点とされたためです。1943年、東洋一と言われる飛行場の建設を進めましたが、1945年3月、戦況の悪化により軍は自ら飛行場の破壊命令を下しました。4月15日には伊江島周辺を米軍の艦船50隻が包囲し、艦砲射撃や地上戦で住民を巻き込む激しい戦闘が始まりました。一木一草までも焼き尽くされる焦土と化し、多くの犠牲者を出したことは「沖縄戦の縮図」として語り継がれています。今でも東部には米軍の演習場があり、軍用地が島全体の35.2%を占めています。
本島と伊江島を結ぶフェリーの船内には、戦争との関係が分かる表示がありました。この船について、「旧日本軍により飛行場建設のために土地を接収され、現在は国有地となっている土地の、旧地主に対する個人補償が制度上困難なために、旧地主の団体方式による要望を受け、地域振興につながる事業として、建造費の一部に国・県からの補助金が含まれています」とあり、今なお戦争被害の解決への道筋を模索していることが伺えます。
カーフェリー「いえしま」船内にて筆者撮影
(沖縄県国頭郡伊江村、2026年3月12日)
ここからは、島が抱えてきた短所を唯一無二の魅力へと変貌させた取り組みを2つ紹介します。1つ目は、空いている自宅のスペースを活用する試みです。伊江島に高校はなく、進学のためには中学卒業と同時に、生まれ育った島を離れる決断をしなければなりません。切実な状況を逆手に取ったのが、2003年に始まった「民家体験泊事業」です。空き部屋となった子供部屋を活用し、島の生活を体験することができます。現在、約150軒の受け入れ民家があるということです。一般の観光では味わうことのできない島の日常を感じられるのではないでしょうか。
2つ目は、新しい島の名産品を誕生させたことです。島内には水源が乏しく、生活用水は本土からの海底送水に頼っています。水は貴重な資源で保水力のない土壌であるため、米作りはできません。そこで、水を必要としない地酒、ラム酒づくりが始まりました。国とビール会社の実証実験として、サトウキビからバイオエタノールを作っていましたが、稼働終了に伴ってその施設は伊江村に譲り渡されました。既存の施設をそのまま引き継ぎ、島の主産物であるサトウキビを原料に、ラム酒作りに転用させたのです。ミネラルが豊富な伊江島のサトウキビを使用したラム酒は、名産品となっています。
夜間は星空も美しく、島らっきょうや沖縄そばなどの食も絶品です。皆様も伊江島を訪れてみてはいかがでしょうか。
伊江島の特産品
「じいまあみ」は落花生
参考記事
日経電子版、2011年4月21日、「沖縄・伊江島でラム酒生産 村の三セク、地元サトウキビ使う」
読売新聞オンライン、2025年4月20日、「「沖縄戦の縮図」住民4割犠牲の島…片言の日本語「デテコイ」応じずにいるとガス弾、喉やられ今も声かすれ」
参考資料



