天門祭の様子
(2026年10月18日、筆者撮影)
「よいしょー よいしょー よいしょー」
太鼓の音と掛け声が、商店街に響き渡る。18日、大将軍八神社の天門祭が行われました。
昨今、祭りと聞くとネガティブな印象を持つ人は少なくないでしょう。筆者にとっても、今月10日に大阪で起きた、だんじりの横転事故が思い浮かびます。この記事では、日本の祭りを取り巻く現状を踏まえ、実際に参加した方や筆者の経験をもとに祭りの将来を考えます。
大きな注目を集めた、大阪の「だんじり祭り」の起源は、1703年、岸和田藩主の岡部長泰が岸和田城内に稲荷を祀り、領民に参詣を許可したことが始まりとする説があります。喜んだ領民がお礼として神楽獅子を舞ったことが祭りの起源になった、と日経新聞の記事で紹介されています。
事故の起きた「やりまわし」と呼ばれる動きはだんじりが高速で方向転換をするものとして知られています。同記事によると、大正期以降、車輪をつなぐ軸が木製から鉄製になったことで耐久性が向上し、戦後には道路の拡張によって自由に走れるようになったことで高速化していったとされています。
このように、祭りは時代や環境の変化に合わせて、その姿を変えながら受け継がれてきました。しかし今、祭りはこれまでとは異なる変化を求められているのではないでしょうか。
祇園祭で大通りが歩行者天国になった様子
(2025年7月15日、筆者撮影)
大阪府泉佐野市と泉大津市で起きただんじりの横転事故では、男性2人が死亡し、16人が負傷しました。事故をきっかけに、祭りの安全性を問う声が上がっています。
批判は安全性にとどまりません。大阪府富田林市が公表した「市民の声」には、騒音や交通規制に関する苦情が寄せられています。夜9時を過ぎても続く太鼓や拡声器の音で子どもが眠れないことや、交通規制によってバスが遅れることなど、日常生活への影響を訴えるものです。
天門祭での交通規制看板
(2026年10月17日、筆者撮影)
しかし、今月のだんじり事故をめぐるSNS上の議論には、筆者はどこか違和感を覚えます。
事故をうけて「危険な祭りは廃止すべきだ」という声が上がる一方、「地域の伝統に部外者が口を出すべきではない」とする意見も見られます。もちろん、人命に関わる事故が繰り返される以上、安全性を厳しく問うことは必要でしょう。一方で、長年受け継がれてきた祭りには、地域の人々の歴史や思いが詰まっています。その価値を十分に知らないまま、廃止を求めることにも慎重であるべきだと思います。
では、祭りを取り巻く問題は、廃止か存続かという二つの選択肢だけで考えられるものなのでしょうか。
馬も街中を練り歩く
(2026年10月18日、筆者撮影)
例えば、富田林市に寄せられた苦情の中には、祭り自体を否定するのではなく、拡声器の使用や練習時間の見直しを求めるものもあります。祭りを続けてほしいと願いながら、今の形には疑問を抱く人もいるのです。影響を受けるのは参加者だけではありません。同じ地域で暮らしながら参加しない人もいれば、動物の扱いや安全性について、地域の外から疑問を投げかける人もいます。
西大路通を渡る様子
(2026年10月18日、筆者撮影)
では、実際に祭りを受け継ぐ人々は、どのような思いで祭りに関わっているのでしょうか。
大将軍八神社の「天門祭」では、沿道で見守る人と祭りに参加している人が交わす会話が目立ちました。顔見知りなのか「こんにちわ」という声から、至る所で笑い声が聞こえてきました。毎年参加している男性は、「仕事的に時間が合わないから近所の人と会うことがなくて、祭りの時に子供と一緒に(近所の人に)挨拶とかしたりする」と話してくれました。
筆者も、一昨年祭りに参加しましたが、京都に来たばかりで人との繋がりが少ないなか、近所の顔見知りが増えたことは安心感にもつながりました。また、多くの警察官が交通整理をしている姿も目につきました。西大路通を横断する際には、信号の時間と神輿の巡行の速度を見計らっているようで、地域の祭りを支えてくれています。
祭りは単に伝統を受け継ぐ行事ではなく、人々がつながる大切な機会でもあると感じています。だからこそ、祭りをめぐる議論が「廃止すべきだ」「部外者は口を出すな」という対立にとどまっているのは残念です。
もちろん、事故の危険性や騒音など、祭りが抱える問題を軽視することはできません。一方で、そうした問題を理由に祭りそのものをなくしてしまえば、そこで生まれてきた人々のつながりも失われかねません。その間には、伝統を大切にしながらも安全性を高めたいという思いや、祭りを続けてほしいけれど、日常生活への影響は減らしてほしいという声もあるはずです。
商店街で行われる、宵祭り
(2026年10月17日、筆者撮影)
これまで祭りは、時代や社会の変化に合わせて、その姿を変えながら受け継がれてきました。それならば、今寄せられている批判も、祭りをなくすためのものとしてではなく、これからも続けていくための議論につなげることはできないのでしょうか。
祭りに参加する人も、参加しない人も、同じ地域で暮らしています。異なる立場の人々が互いの声に耳を傾け、何を残し、何を変えていくのかを考えることが大切なのだと思います。単なる主張の対立に終始するのではなく、その間にある人々の思いや声に目を向けること。それが、次の世代へと祭りを受け継いでいくための第一歩になるのではないでしょうか。
参考文献:
2021年6月8日付 日経電子版 大阪のだんじり祭り、つながり保つ 激しさは近代以降
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUF03ADC0T00C21A6000000/
2024年5月4日付 朝日新聞デジタル 「動物虐待」批判で土壁撤去し開催 三重・多度大社の上げ馬神事
https://digital.asahi.com/articles/ASS543HKSS54ONFB00YM.html
2026年10月17日付 朝日新聞デジタル 「見せる」だんじり曲がり角 二つの死亡事故が問う安全とのバランス
https://digital.asahi.com/articles/ASVBJ3WNDVBJOXIE00NM.html?iref=pc_ss_date_article
2026年10月19日付 朝日新聞デジタル 「見せる祭り」安全とのバランスは だんじり横転相次いだ大阪、下敷き計2人死亡
https://digital.asahi.com/articles/DA3S16569302.html?iref=pc_ss_date_article





