10月11日、筆者は富士山の北麓を訪れました。今回はそこで見た、湧き水の池が点在している忍野八海と、溶岩が作った洞窟である鳴沢氷穴・富岳風穴について考えます。ともに富士山が産んだ国の天然記念物でありながら、光景は対照的でした。
忍野八海は、富士山の伏流水が湧きだす八つの池の総称です。江戸時代には、富士山を目指す「富士講」の人々が登拝の前に八つの池を巡り、水を浴びて身を清めたといいます。1934年に国の天然記念物に指定され、2013年には世界文化遺産「富士山」の構成資産にも登録されました。
その忍野八海の最初の印象は、とにかく混雑しているということでした。細い通りは人で埋まり、名所である八海も沢山の観光客で取り囲まれていました。
それでも、水の美しさは評判通りでした。富士山の雪解け水が地下の不透水層という溶岩の間で何十年もかけて濾過されたものだといいます。正式な八海ではないものの最も多くの人々を集めている中池は、深さがあるにも関わらず水底まではっきりと見通せます。色も驚くほど青く、魚が群れを成して泳いでいるのが見えました。
気になったのは八海の一つである「湧池」でした。八つの池の中でも湧水量が豊富で、周囲には茅葺屋根の水車小屋や土産物店が並ぶ、最も賑やかな通りに面している池です。その澄んだ水底には、無数の硬貨が沈んでいました。
筆者は、これを見たときに「投げ込んではいけないのではないか」と思いました。なぜなら、硬貨は複数の人々の手を渡る、決して清潔であるとは言えない金属であり、繊細な自然環境の場所であればあるほど、その悪影響が大きいように感じられたからです。そこで周囲を見渡し、注意を促す掲示を探しました。すると、池の脇に『池への硬貨投入禁止』と日本語と複数の言語で書かれた看板は確かにありました。ですが、探してやっと見つかるもので、はっきりと観光客の目につくとは言えないものでした。
投げ銭は世界遺産登録の2013年以降に目立ち始め、村は「願いが叶う」といった誤解から訪日客の多くが投げ込んでいると見ているそうです。この10年でダイバーが回収した硬貨は約5万枚にのぼったといいます。腐食による水質への影響も懸念され、いくら池の底をさらっても、また投げ込まれてしまう「いたちごっこ」が続いているのです。
一方、鳴沢氷穴には、また異なる世界がありました。
洞窟はほぼ天然のままで、観光のために穴を広げた様子はありませんでした。通路は人が一人か二人通れるだけの狭さで、天井は最も低い場所で約91cmだそうです。このために、入り口ではヘルメットの着用が勧められます。急な傾斜もあり、階段のない場所では洞窟の斜面をそろそろと上り下りしなければなりません。正直に言えば、かなり歩きにくい場所でした。
しかし、その不便さこそが、この洞窟が約1100年前の噴火でできた姿である証拠とも思えます。その歩きにくい洞窟の形がそのまま留められていることに嬉しい気持ちになりました。864年の噴火で溶岩流に飲み込まれた巨木などの周りで溶岩が冷え、縮む際に高温のガスを噴き出したことで生まれた空洞だといいます。壁や床には氷が張っており、冬に育つ氷柱は春先あたりに見ごろを迎えるそうです。
近くの富岳風穴は、流れる溶岩流の表面が先に固まり、内部の溶岩が流れ去ってできた横穴です。氷穴より広くて歩きやすく、奥には明治以降に蚕の卵を冷やして保管し、孵化の時期を調整した貯蔵庫が残っています。この技術で年に何度も蚕を飼えるようになり、日本の製糸産業を支えたといいます。洞窟の冷気は、人の暮らしとともにあったのでしょう。
大きな違いは、忍野八海が硬貨の投げ込みによって水質や景観を損なわれかねない事態に直面しているのに対して、鳴沢氷穴と富岳風穴は、1100年前に生まれた姿をそのまま留めているということです。同じ富士山が作った天然記念物でありながら、どこからこの差が生まれたのでしょうか。
それは主に、アクセスのし易さの差ではないかと考えました。忍野八海では散策は無料で、いつでも訪れることができます。池は通りのすぐそばにあり、誰でも水辺に近づけます。対して氷穴は入場料がかかり、ヘルメットを被り、身をかがめて進まなければなりません。一度に入れる人数にも自ずと限りがあります。誰かが意図したわけではありませんが、不便さそのものが入場制限と環境保護の役割を果たしているのではないでしょうか。
忍野八海では4か国語の看板が設置されているにも関わらず、今も投げ込みが続いています。看板による注意喚起だけでは限界があると見ることもできます。村は今年3月、湧池の周辺に賽銭箱に見立てた箱を設置する方針を決めました。池に投げられていた硬貨を、環境保全の協力金として集める狙いです。
ただ禁止するだけではなく、根本的な観光客の行動そのものを変える仕組みづくりが、今後の保全の鍵になるのだと思います。
参考記事
2026.4.6, 涌井統矢, 世界遺産「忍野八海」、大量の投げ銭に困ってます…透明度の高さ魅力なのに乱反射・腐食で水質影響の懸念, 読売新聞オンライン
参考資料



