複雑だった大阪都構想~振り返りと疑問点~

11月1日、大阪市を廃止して四つの特別区に再編する大阪都構想の是非を問う住民投票が行われました。結果は約1万7000票差で反対多数。5年前と変わらず、僅差ですが否決されました。大阪維新の会が結党されてから、都構想を「一丁目一番地の政策」と位置付けてきたため、党勢が弱まる可能性があります。大阪以外の人には何とも分かりづらい論争を振り返ります。

<なぜ大阪の二重行政が問題視されてきたのか>

都構想の目的は、二重行政の解消にありました。これまで大阪では「府市あわせ(不幸せ)」がささやかれることが少なくありませんでした。つまり、府と市が互いに足を引っ張りあい、税金の無駄遣いが続けられていたということです。例えば、府の「りんくうゲートタワービル(256.1m)」と市の「大阪ワールドトレードセンタービルディング(WTC)(256m)」では、高さの競い合いがありました。当初は252mで計画されていたWTCは、りんくうゲートタワービルに肩を並べようと4m高くした歴史があります。

このような無駄な競争は大阪の根深い問題でした。しかし、吉村知事・松井市長体制に移ってからは、府市あわせ状態を避け、スムーズな行政が実現していました。これは「ヴァーチャル都構想」と呼ばれ、大阪維新の会が目指していた二重行政の解消が一時的とはいえ、なされていました。松井市長は「奇跡的な状態だ」と主張。これを固定するため、役割分担を明確化しようとしました。

<死滅した大阪会議>

2015年、反対多数で否決となった第1回大阪都構想。その対案として設置されたのが大阪会議です。しかし、初会合は「大阪会議を都構想の対案と規約で位置付けるか否か」で平行線のまま終了。第二回では自民党と共産党、堺市長が欠席し、開催条件を満たさず、5分足らずで閉会しました。これを受けて橋下市長(当時)は「大阪会議は死滅した」とコメント。「ポスト大阪都構想」と期待された大阪会議は事実上、頓挫してしまいました。これを背景にもう一度、都構想の是非を問いたいと考えたのではないでしょうか。

<特別区配置協定書に基づいた議論だったのか>

賛成派と反対派では、意見が大きく異なりました。例えば、都構想設置にかかる費用について、反対派は1340億円と算定。賛成派の241億円とはかけ離れた数字です。なぜ差が開いてしまったのでしょうか。一つ目は「新庁舎の建設」です。協定書では「建設しない」と明記したにも関わらず、反対派は建設する見込みで試算していました。二つ目は「15年分の人件費と追加ランニングコストを導入」していたことです。なぜ15年分を試算に含めたのでしょうか。

また、二重行政に関しては「話し合いで解決できる」、住民サービスは「財政悪化で低下する」など、抽象的で不安を煽るような主張が多かったように感じます。そもそも協定書を基に是非を問う住民投票だったのにも関わらず、前提を覆すような反対派の主張には問題があったと思います。

<個人的見解>

大阪市内に住む友人に聞いてみたところ、賛成の声が多かったです。「新しい大阪を見てみたい」「可能性を感じる」など、未来を肯定する姿勢でした。しかし、あくまで学生の一意見。新型コロナにより、収入面で大きな打撃を受けた人にとっては、自分の生活が第一です。反対派は市民の「漠然とした不安」を上手く煽り、劣勢から見事に逆転したと思います。本来の大阪都構想が周知されていたのか疑問です。「大阪府から大阪都になる」「大阪市がなくなるとヤバい」など、間違ったイメージばかりが先行していた印象です。また、なぜこの時期に住民投票に踏み切ったのでしょうか。コロナ禍のなか例年以上に市民の不安は大きかったと思います。もし、1年前に実施していたら、結果は違っていたかもしれません。

「再挑戦はない」と断言した吉村知事、政界を引退する意向を表明した松井市長。とはいえ、2025年には大阪・関西万博もあります。大阪都構想は幕切れのようですが、「これからの大阪」に依然として目が離せません。

参考記事:

1日付 朝日新聞、読売新聞、日本経済新聞 各紙朝刊 大阪都構想関連記事