日本初のストライキが起こったのは140年前の今月だと知っていますか。明治19年に山梨・甲府の雨宮製糸場の女子工員100人余りが就労を拒んで近くの寺にたてこもった雨宮製糸争議です。この機会にストライキについて考えてみました。
争議が起こった当時の甲府は製糸業が急速に発展しており、業者による女子工員の奪い合いが絶えませんでした。働き手の多くが近郊農村からの通勤工であったため、好条件を求めて工場を移動する者も少なくなかったといいます。そのため、製糸業者が同業組合を結成し、引抜き防止協定や賃金切下げなどを申し合わせました。これに不満を持った女工らがストライキを起こしたのです。
1886年6月16日付の山梨日日新聞には「同盟罷業」に「すとらいき」とかなを振り、「雇い主が同業者組合を作る中、労働者も団結しなければならない。どこの工女にも不満はあるだろうが、その先駆けはこの工場から始めよう」と書かれています。労働時間は14時間を超え、水の一杯を飲む暇すらなかったといいます。
その後、戦争を挟んで労働争議が一気に増えた時期もありますが、件数は1970年代をピークに減少に転じ、2000年代以降はほとんど見られなくなりました。背景にあるのが、労使関係の変化です。企業と労働組合の間では、対立的な団体交渉よりも、情報共有や話し合いを重視する「労使協議制」が定着しました。賃金だけでなく、経営方針や人事、福利厚生など幅広いテーマについて協議することから、労使が対立するよりも協調して問題を解決する傾向が強まっています。
一方で、非正規雇用者や中小企業の労働者は労組に加入していない場合が多く、入っていても地域一般労組が中心です。地域一般労組は個別の労働問題の解決には積極的ですが、多数の労働者を組織して大規模なストライキを実行することは極めて難しいのが現状です。そのため、雇用形態や企業規模の違いによる労働者の分断が進み、職場全体を巻き込むような連帯行動が起こりにくくなっているのです。また、日本国憲法で公務員のストライキが禁止されていることも争議が抑制された要因の一つです。
そうしたなか、2023年8月に「そごう・西武」の売却に反発する組合が西武池袋本店でストライキを実行しました。大手百貨店のストライキは61年ぶりだったこともあり、衝撃的でした。今後は給与や待遇だけでなく、職場の信頼関係や経営の透明性が会社の評価基準になると感じています。