いつから政治における右と左がわかるようになりましたか。「〇〇新聞は保守的」「〇〇新聞らしい報道」というようなイメージはいつから定着しましたか。自分の政治的な立ち位置はいつから認識していますか。民主主義の対義語は何か、自信を持って答えられますか。
こういった物差しを持たず、関心もない大学生、社会人にたくさん出会います。自分の専門だけを追い求められるようになった現代。興味を持ってきたフィールドが違えば、当たり前のことかもしれません。筆者も、こうした判断基準を持つようになったのは大学生からでした。でもやっぱり、選挙権を持つ、社会を動かしていく大人がこの状況って、まずい。これを変えるには、どうすれば良いのでしょうか。
■なぜまずいのか
先ほど挙げた「右と左」「保守とリベラル」「個人と全体」などの基礎的な理解があれば、誰かの意見に触れた時、頭の中で自然と分類作業が進みます。「他の問題ではこういう考え方なのかな」と予想も立ちます。その人のカラー、立脚点がなんとなくわかるだけで、政治の見え方がスッキリしてきます。自分の立ち位置もわかりやすくなり、支持政党選びの一助になります。
国際政治のニュースでも、度々この言葉が使われます。例えば今朝の読売新聞。
ブラジルのルラ・ダシルバ大統領は27〜31日の日程で中国を国賓として訪問し、習近平国家主席と会談する。右派の前政権下で冷え込んだ両国関係を修復し、最大の貿易相手国である中国からの投資拡大を図る。
この一語があるだけで、「新政権は左派なんだな」「そういえば前政権は南米のトランプなんて言われていたな」さらには「この間はブラジル議会の襲撃があったな」というところまで連想できます。この感覚をつかんでいる人にとっても、外国の状況をざっくりと理解するために非常に有用な概念だということが再認識できるでしょう。
■感覚を持つようになったのは
私が自然と判断基準を持つようになったり、政治に興味を持ち始めたりしたのは、あるボランティア団体に所属してからでした。団体の理念がはっきりとしており、政治に興味を持つ人も多い。自民党の改憲草案に懸念を抱く人、性的マイノリティーの権利のなさに憤る人、国の安全保障より教育にお金を使うべきだと考える人、天皇制が好きではない人……自分の考えをしっかり持つ人たちに出会ったことで、それぞれの問題が身近に感じられたし、「政治的な意見を持つこと」に対するハードルもぐっと下がりました。いろいろ調べたりTwitterを見たり、話し合ったりするうちに、保守や革新、現在の日本政治の構図も少しずつわかるようになってきました。
政治に関心のある若者にそのきっかけを聞くと、「親の思想が強かった、だから反対の意見に興味が湧いた」「ヤフコメやTwitterを見て、気になって自分で調べていった」「大学で政治学が必須科目だった」「家の新聞を読んで面白いと思った」などの答えが返ってきます。ただ、小中高の学校教育でその感覚を身につけた人はなかなかいません。
■学校教育 踏み込むのを必要以上に恐れていないか
前回のあらたにすで取り上げた宗教への忌避感とも通ずるものがありますが、「政治的に中立でなければいけない」学校で、これらの概念を伝えるのはなかなか難しいかもしれません。中学の公民の教科書を見ても、「右翼」「左翼」「保守」「革新」などの政治上の立場についての説明はありません。高校の政治経済の資料集には以下のような説明がありましたが、これだけでは政治を理解するうえで欠かせない理解力は身につかないでしょう。
保守と革新…保守(conservative)は伝統的制度や考え方を尊重し、急進的改革に反対する政治上の立場のこと。バークは「フランス革命についての省察」で恐怖政治を批判し近代保守思想の祖と呼ばれる。これに対し改革派を革新(reform)と呼び、55年体制下の日本では自民党を保守、社会党や共産党を革新と読んできた。
「この人はめちゃくちゃ保守的だ」「この考え方は比較的左寄りだよね」など、ある程度はっきりと言ったほうがわかりやすいでしょう。だから、ネット上のように、互いの主張がストレートに表れているところを見ると、ストンと理解できる。けれどこれらはかなり曖昧な部分があります。「あの人は左だ」と言っても、その人に言わせてみれば「自分は中立だけど、世間が右寄りだからそう見えるんだ」と返ってくるでしょう。中立のラインは人それぞれで、非常にセンシティブではあります。
しかし学校でも、ある程度踏み込んで教えていくべきだと思います。人によって分け方は違うこと、そもそもこの概念自体も曖昧であり、これらの要素だけで判断してはいけないことなどを併せて伝えれば、無理ではないはずです。政治的な話すべてに言えることですが、「政治の話がタブー」なのではなく、「それぞれの政治的な立場を尊重しないことがタブー」なのです。
ともすれば教師は権威的な存在になりがちなことを十分に理解し、「私はこう思っているけれど、これが正解かはわからないよ」と付け加える。反対意見も十分に紹介する。「学校は偏った情報のみを教えてはならない」「それぞれの考え方を尊重しなければならない」という前提を共有する。生徒の反論を十分に聞き入れ、尊重する姿勢を見せる。簡単ではありませんが、これらの工夫を取り入れれば、中立性を確保しながらも、生徒が政治的立場を理解するための情報を提供することは可能だと思います。そうすることで、政治が面白いと感じられる人が増えていくことを願います。
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