大学のゼミで訪れた沖縄での気づきや感じたことをシェアする連載の後編です。現地で得た学びから、平和について考えます。
前編で紹介した通り、沖縄では米軍基地をはじめ様々な場所を訪れました。なかでも、宜野湾市の公園にある展望台から一望した普天間飛行場が印象に残っています。「世界一危険」とも言われる通り、飛行場は民家や小学校と隣接しています。2004年8月には、市内にある沖縄国際大学構内に米軍のヘリコプターが墜落する事故も発生しています。事故が起きたことを容易に想像できる飛行場との近さに衝撃を受けました。
また、今月6日には、名護市の野球場に、普天間に配備されているヘリコプターが不時着しました。危険と隣り合わせの生活がうかがえます。一方、アメリカ国内では、飛行場付近に住民の生活スペースが及ばないよう法律で規制されているそうです。沖縄がおかれている異質な状況に、疑問を抱かずにはいられませんでした。
嘉数高台公園から一望できる普天間飛行場(3月3日筆者撮影)
嘉数高台公園に設置されている解説(3月3日筆者撮影)
普天間飛行場の移設先として、辺野古新基地の建設が進んでいます。しかし、普天間の危険が取り除かれるか疑念が残ります。何より沖縄に基地が固定化されるという事実に変わりはありません。辺野古では工事を遅らせるべく座り込みの反対運動が行われています。「牛の歩みでも取り組むことに意味がある」と話す参加者の切実な想いを知りました。
最終日には、平和祈念資料館を訪れました。鉄の暴風と表現される攻撃、集団自決、虐殺の実態など、国内唯一の地上戦である沖縄戦がいかにむごく残酷なものであったか、改めて知ることができました。戦争は人間らしさを奪い、勝ち負けに関わらず命の犠牲以外の何も生まないと強く思います。当たり前のように平和が享受される一方で危うさが漂う今だからこそ、見失わず向き合わなければいけないことがあると感じました。
全国の米軍専用施設面積のうち7割が集中する沖縄の現状を、恥ずかしながら筆者は何も分かっていなかったように思います。沖縄と本土という言葉を、何気なく使う人も少なくないはずです。ですが、都道府県の一つでありながら沖縄を区別する意味を持つこの表現の背後には、現地に対する心理的な距離があると気づかされました。筆者自身も無意識のうちに距離感を抱き、基地をはじめとする沖縄の問題を日本の問題だと感じ取れていなかったように思います。
国内の安全保障や防衛に関する問題の多くが、平和の尊さを知る沖縄に背負わされています。沖縄の問題は日本の問題だと学んだからこそ、自分に出来ることは何なのか、向き合っていきたいです。
参考記事:
2026年03月03日付 朝日新聞朝刊「与那国、ミサイル部隊の説明会」
2026年03月08日付 朝日新聞朝刊「野球場に米軍ヘリ 「予防着陸」30人避難 沖縄」
参考資料:
「沖縄から伝えたい。米軍基地の話。Q&A Book」沖縄県

