3月11日、東日本大震災発生から15年の節目を迎えました。震災発生時の記憶がない若者が増えるなか、震災によって浮き彫りとなった問題をどう乗り越え、尊い犠牲への思いをどのように継承していくのかが、課題となっています。
筆者は2月7日、大川小学校津波訴訟の様子を描いたドキュメンタリー映画『生きる 大川小学校 津波裁判を闘った人たち』の上映会に出席しました。人権弁護士の養成と交流の場づくりを目指す、弁護士らによるNPO法人「九州アドボカシーセンター」が企画した集いです。弁護団長を務めた吉岡和弘弁護士と原告遺族の只野英昭さん、本作品を監督した寺田和弘さんによるトークセッションが行われました。
本稿は前後編に分かれます。後編では、大川小学校津波裁判の様子や、吉岡弁護士が感じた国家賠償請求訴訟への疑問についてお届けします。前編では、大川小学校の被災と震災発生後の行政の対応についてまとめました。
→前編はこちらhttps://allatanys.jp/blogs/29338/
■遺族らによる訴訟と証拠収集
市や学校による保護者説明会でも、第三者による検証委員会でも、震災発生時の事実は明らかになりませんでした。わが子が犠牲になった時の様子を知りたい、どこに責任があるのかを明らかにしたい。そんな思いから、子を失った遺族の一部は2人の弁護士とともに裁判で闘う道を選択しました。
23人の児童の遺族は2014年3月10日、県と市を相手取り、計23億円の損害賠償を求め仙台高裁に提訴しました。この日は、被害者が損害または加害者を知った時から3年と定められている訴訟期限の前日でした。
本裁判は、「公務員が職務上、故意または過失によって違法に他人に損害を与えた場合、国や自治体が賠償する」とする国家賠償請求訴訟に当たります。そして、公務員の過失を認めるためには「予見可能性(予見義務違反)」と「結果回避義務違反」が立証される必要があります。
国賠における立証は原則として、損害を主張する原告が行わなければなりません。つまりこの裁判においては、被害者遺族らが証拠を提示する必要がありました。しかし、大川小学校は周辺の住宅や道路とともに津波に流され、多くの物が消失しています。遺族らによる証拠収集は、困難を極めました。
こうした状況の中で、遺族らは自ら証拠の再構築に取り組みました。その一つが、津波到達地点や学校周辺における建造物の所在位置の復元です。測量会社に依頼し、学校跡地に看板やロープを設置しました。裏山に避難する時間の検証や、新たな証言の収集なども、遺族らが協力して実施しました。
■第1審
1審の仙台地裁は2016年10月27日、「広報車の避難の呼びかけを聞いた段階で、津波がくることを予測できた。教諭らの避難誘導には過失があった」として、市と県に賠償を命じました。
第1審は津波を予見できたか否かという「予見可能性」を争点にしており、 その場にいた教諭らだけの責任を認定しました。事前に避難場所や経路などを定める義務を怠った校長や市教委の責任については、否定したのです。
本判決は原告遺族と被告の双方にとって受け入れがたいものとなり、争いは第2審に持ち込まれました。
■第2審と最高裁による決定
2審の仙台高裁は1審と異なり、「事前防災」の不備を重視しました。震災前の危機管理マニュアルが整っていれば事故は防ぐことができたとして、市教委と学校の「組織的過失」を認定したのです。さらに、学校長らには児童の安全確保のため、地域住民よりもはるかに高いレベルの防災知識や経験が求められると指摘しました。
県と市は本判決に対し「学校現場に過大な義務を課すものだ」として上告しましたが、最高裁第1小法廷は2019年10月10日、市と県の上告を退ける決定をしました。これにより、県と市に約14億3600万円の支払いを命じた2審・仙台高裁判決が確定しました。子どもたちの命を守らなければならないという学校の義務が公的に認められたのです。
この最高裁決定は、将来起こり得る災害から子どもたちの命を守るための教訓を社会に示したともいえます。大川小で亡くなった児童らの犠牲を無駄にしないという意味でも、遺族にとって大きな救いとなる判断となりました。
■国家賠償請求の在り方を問う
結果として遺族らは勝訴し、画期的な判決が下されましたが、訴訟は困難を極めたといいます。
それは、被害者遺族らに対する訴訟参加の呼びかけです。国家賠償請求では、公務員や国、自治体の責任を追及するために、具体的に被った損害を示さなければなりません。そしてその損害は、具体的な金額である必要があります。つまり、亡くなった子どもたちの命に「値段」をつける必要があったのです。
それは具体的に、犠牲になった子どもが健康に育ち、どのくらいの給与を得られたのかということです。弁護団は遺族らに「1億円」という金額を提示しました。「裁判で県と市の責任を追及するためには、この金額が高すぎてはいけない。過去の請求事例を示しながら、お子さんの命の金額を親御さんたちに伝えることは苦しかった」と弁護団の吉岡和弘弁護士は当時の苦労を語りました。
さらにこの「値段」設定は、遺族らに対する誹謗中傷の要因にもなりました。「金目当て」などという理不尽な非難や脅迫を受けた原告遺族もおり、脅迫によって集会が中止に追い込まれたこともあったといいます。このような攻撃は、同性婚訴訟や公害訴訟、生活保護基準引下げ訴訟など、他の国賠訴訟でも見られます。
そもそも、誹謗中傷や脅迫は決して許されるものではありません。また、国家賠償請求は決して金銭のためのものではなく、被害を受けた人が責任の所在を問い、救済を求めるための制度です。訴えること自体が批判されるべきではないという認識を、社会全体で共有していく必要があります。吉岡弁護士は、脅迫によって集会が中止となった出来事を受け、「法意識を変えなければならない」と感じたといいます。
国家賠償請求そのものを改正することは難しくても、私たちの法意識を変えることはできます。報道で目にする「国家賠償請求」や「損害賠償請求」の金額の裏に、どのような原告の思いがあるのか。それを考えることにも意味があるはずです。
震災から15年が経過した現在、出来事を語り継ぐだけでは十分とはいえません。遺族らは、大川小学校津波事故を単なる過去の悲劇として終わらせることなく、裁判を通じて学校における防災と安全確保の責任を司法の場で明らかにしました。しかし、その責任を明らかにする過程においても、国家賠償の在り方をめぐる疑問が浮かび上がっています。こうした問いに向き合うこともまた、震災の教訓を社会に生かしていく営みの一つではないでしょうか。
不条理を見過ごさず、誤りを正していける社会をつくること。それは震災に限らず、誰もが安心して暮らせる社会を実現するために、私たちに求められている課題なのだと思います。
参考記事:
・2019年10月11日付 日経電子版 「大川小の津波訴訟、遺族勝訴確定 学校現場の責任重く」
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO50879500R11C19A0CR0000/?n_cid=dsapp_share_ios
参考資料:
・共同通信 「【3Dは語る】東日本大震災で児童74人が犠牲になった宮城・石巻の大川小学校」
https://youtu.be/NDMm_M6y1gs?si=CVc9qLnIcL8xdBM0
・『クライシスマネジメントの本質 本質行動学による3・11大川小学校事故の研究』,西條剛央,2021年2月14日,山川出版社
・『民法Ⅴ 事務管理・不当利得・不法行為』,橋本佳幸・大久保邦彦・小池泰,2011年11月10日,有斐閣