セネガルに残る奴隷貿易の歴史 ゴレ島で学ぶ

西アフリカのガンビアを取り囲むように位置しているのがセネガルです。国土面積は約19万7161㎢で、日本の半分ほどです。人口は1850万人。公用語はフランス語ですが、ウォルフ語など各民族の言葉も使われています。首都のダカールではあちこちでビルや大型施設が建設されていました。

 

セネガルにも植民地時代の遺産があります。その一つがゴレ島です。この島は1978年にユネスコの世界文化遺産にも登録されています。面積は約28haほどで、ダカール港から3km程の場所に位置し、船で向かうことができます。乗船時間は約20分。料金は往復で6000cfa,日本円で1700円ほどでした。

ゴレ島へ向かう船が出発するダカール港(2月14日、筆者撮影)

ゴレ島(2月14日、筆者撮影)

 

早朝から深夜まで2時間に1本の間隔で運行されています。船内は多くの人で賑わっています。食べ物やお土産なども販売されており、筆者はケシュケシュという紐で繋がれたマラカスのような楽器を購入しました。

ダカールとゴレ島を結ぶ 船(2月14日、筆者撮影)

ダカールとゴレ島を結ぶ 船(2月14日、筆者撮影)

 

この島ではフランスの植民地であった時代の奴隷制度について学ぶことができます。1444年頃にポルトガルが来航し、その後オランダ、フランスも進出することになります。1815年のウィーン会議でフランスの植民地になりますが、1960年4月にフランスから独立し、現在のセネガル共和国になるわけです。

 

ゴレ島の名前の由来はオランダ語の「Goede Reede(良い停泊所)」にあるといいます。初めに島を占領したオランダが名付け、その後に植民地として支配したフランスによって現在の「ゴレ島」という名前になりました。

 

船から降りるとヨーロッパ系の観光客が目立ち、食事や買い物などを楽しんでいる姿が目に入りました。石の上に書かれた島の地図を見ようとしたところ、その上が商品の荷物置きになっていたのには驚きました。少し歩くと油絵や砂絵、人形などといった芸術作品が販売されていました。島内には病院やホテル、教会などもあるようです。

マーケットは観光客で賑わっている(2月14日、筆者撮影)

 

最初に「奴隷の家」に向かいました。入館料は1500cfa、日本円で420円。ここでは実際に奴隷が収容されていた施設や食事を取っていた場所などが残されています。筆者が向かった日が休日だったと言うこともあり、身動きがとれない程の人が訪れていました。

奴隷の家(2月14日、筆者撮影)

 

奴隷の家の中には「帰らずの扉」と呼ばれる場所があります。この扉の先は海に繋がっています。帰らずの扉の名前の意味とはこの扉をくぐった先で船に乗せられ、奴隷として売られて二度と故郷に帰れなくなってしまうためです。しかし、現在では扉のすぐ向こうに綺麗な海が見えるせいか、写真スポットになっていました。さらに扉の先にある崖にはカメラマンのような人もいます。次から次に人が押し寄せているので、この扉の背景にある出来事を考える時間もわずかです。この場所に訪れる意味が変わってきしまうのではないかと感じました。

帰らずの扉(2月14日、筆者撮影)

 

次にイファン・ヒストリカル・ミュージアム(セネガル歴史博物館)に行きました。入場料は3000cfa、日本円で840円です。この博物館はもともと「エストレ要塞」という場所でした。外敵からの侵略を防ぐための砲台なども残されています。博物館ではゴレ島がどのようして形成されていったのかなどの歴史が写真や図、化石などの展示で説明されています。この博物館は島の端にあったせいか筆者を含めて3、4人ほどしかいませんでした。

博物館に残されている砲台(2月14日、筆者撮影)

イファン・ヒストリカル・ミュージアム(2月14日、筆者撮影)

 

ガンビア、セネガルと回りました。歴史や国土面積など異なることは多くありますが、同じ奴隷の歴史を伝えるガンビアのクンタ・キンテ島とは違った印象を受けました。多くの観光客が訪れており、観光地としての色彩が強いような気がしました。

 

セネガルには2月11日から19日まで、1週間ほど滞在しました。これにて筆者のアフリカ旅行は終了です。旅行の中では外務省の「たびレジ」などから情報を得ましたが、行けずに終わってしまった場所が数多くありました。次回は、この旅で学んだ歴史や文化、生活の特徴などの知識を活かし、違った視点を持って訪れてみようと思います。