人が暮らす地域で住民がクマに襲われる被害が相次いでおり、特に今年は市街地にまでクマが姿を見せるケースが急増しています。筆者の出身地である宮城県仙台市でも、中心部にある地下鉄の駅前や住宅地、幹線道路沿いでの目撃情報が連日のように伝えられています。
山奥にいる動物というイメージの強いクマが市街地にまで現れている状況に、多くの人が驚きや不安を抱いています。こうしたクマの出没が急増していることについて、餌となるドングリの不作が原因と説明されることがあります。しかしもう一つの問題として「里山の荒廃」が背景にあると指摘されています。
里山とは、集落や田畑に隣接した山林のことを指します。かつては調理や暖房、お風呂を沸かすための燃料として欠かせない薪や炭をとるため、人々は日常的に里山へ入っていました。そこでは、木々が密集しすぎないよう定期的に間伐が行われ、地面に生い茂る下草も刈り払われていました。常に人の手によって管理されていた里山は、警戒心の強いクマにとって身を隠す場所が少なく、常に人の気配がある環境であり、好んで立ち入ることはありませんでした。結果として、里山はクマをはじめとする野生動物が棲む奥深い森と、人の暮らす地域を隔てる「緩衝地帯」としての役割を果たしていたのです。
しかし、私たちの生活が大きく変化した現代において、里山の状況は一変しました。山村地域では過疎化や高齢化が進み、里山を管理する担い手そのものが減り続けています。加えて、私たちの生活が石油やガス、電気といったエネルギー源に依存するようになり、薪や炭を使うことはほとんどなくなります。これにより、人々が里山に入る理由そのものが失われてしまいました。
人の手が入らなくなった里山は草木が伸び放題となり、暗くて鬱蒼とした空間へと変わっていきました。このような環境はクマにとっては格好の隠れ場所であり、生活の拠点になります。こうして、かつては人とクマとの間に適切な距離を保つ役割を担っていた里山が、逆にクマが人里近くに住みつくきっかけとなってしまったのです。
クマは本来、人間を好んで襲う動物ではないと言われています。むしろ臆病で警戒心が強く、人の存在を察知すれば自ら離れていくことがほとんどです。しかし緩衝地帯であった里山がクマの生活圏と化し、両者が極度に近づいた現在、私たち人間がクマと偶然に鉢合わせてしまうリスクが非常に高まっています。至近距離で人間に遭遇したクマは、驚いてその場から逃げようとし、逃げ道にいる人間をはたいてしまうことがあります。その一撃が人間にとっては致命傷になりかねません。これがクマによる人身被害が発生する一因と考えられています。
とはいえ、現実として市街地や住宅地に出没したクマは、市民の安全を優先してやむを得ず捕獲・駆除される場合がほとんどです。これは差し迫った危険を回避するために避けられない措置と言えます。一方で、「クマがいたら駆除すればよい」という対症療法的な取り組みだけでは問題の根本的な解決にはならないことは明らかです。感情的にクマを害獣として一方的に排除しようとするのではなく、不用意に遭遇しないようクマとの距離を適切にコントロールし、互いの生活圏を明確に区別することが必要だと考えます。
かつて人と森のあいだに存在していた里山は、私たちにとって懐かしい日本の原風景であるだけでなく、人と野生動物が安全に共存するための知恵が詰まった空間でもありました。人の生活圏でのクマの出没がこれほどまでに増えているという現実は、自然との距離感を私たちの暮らしに合わせてどのように設計し直すべきか、という課題を突きつけられているように感じます。
参考記事:
10月26日付 朝日新聞朝刊(東京14版)1面「クマ被害、人里に拡大 山林と逆転、死傷者の66% 4月以降集計」
10月28日付 読売新聞朝刊(東京13版)3面(総合)「[社説]相次ぐクマ被害 人命守る体制の整備を急げ」
10月27日付 日経電子版「生活圏で相次ぎ、今年度は犠牲者最多更新」
参考資料:
日経電子版「進撃のクマ、里山に君臨 2050年には都市占拠か」
朝日新聞デジタル「クマ襲撃で『必ず助かる方法はない』 専門家が語る遭遇しないこつ」
中日新聞Web「クマ出没 荒れた里山 危険招く 『草木伸び放題』『格好の隠れ場』」
WWFジャパン「シリーズ:クマの保護管理を考える(10)クマと人間の「距離」を考える ~弘前藩史料より(2)」
つり人オンライン「頻発する“クマ出没”と“土砂災害”の原因とは?【炭焼き文化が消え、荒廃した「里山の森」からの警告】」
小池伸介(2020)『ツキノワグマのすべて』文一総合出版
大井徹(2009)『ツキノワグマ クマと森の生物学』東海大学出版会