今年の3月6日、名古屋市の東山動物園に行った折にゾウやキリンを初めて見ました。筆者の地元である清州では動物園が1ヶ所しかなく、これまでゾウやキリン、サイなどはテレビでしか見たことがなかったので、目の前で見られることに胸が高鳴りました。
(2025年3月6日、名古屋市東山動物園にて筆者撮影)
しかし、その感動の裏で動物園を取り巻く現実には厳しいものがあります。東山動物園によると、10月23日にアミメキリンの「トリノ」が亡くなったそうです。当時は気づきませんでしたが、朝日新聞の記事によればアフリカゾウ舎も空き家になっているといいます。福岡県の大牟田市動物園でも13年にアフリカゾウが亡くなって以来、ゾウ舎は空き家のままです。今でも来園者からは「次のゾウはいつ来るのか」という問い合わせが絶えないといいます。動物園にとって人気の高い大型動物がいなくなることは、来園者数にも大きな影響を与えます。
一方、韓国では劣悪な室内飼育が社会問題になっています。ハンギョレ新聞によると、24年に金海市の「釜慶動物園」から、肋骨が浮き出るほどやせ細ったライオン「パラミ」が救助されて公営の清州市「清州動物園」に移されたことで、劣悪な飼育環境が明るみに出ました。経営難で営業が行き詰まり、動物たちは狭く汚れた展示スペースに放置されていたといいます。動物園は「動物を保護する場所」であるはずが、管理が行き届かないと命を奪う場所にもなりかねません。
日本でも、動物園のあり方を問い直す声が増えています。朝日新聞が20年に実施したアンケートでは、「あなたが住む市町村に動物を展示・飼育する公立施設は必要ですか」という質問に対し、「今はなくてもよい」「すでにあるが必要ない」と答えた人が全体の42%を占めました。動物園が税金で運営されている以上、経営難や動物福祉をめぐる批判が続けば、その存続は簡単ではありません。
それでも動物園には、人と動物の関係を見つめ直す重要な役割があると思います。単なる娯楽施設ではなく、絶滅危惧種の保全や環境教育の拠点としての価値を高めることができれば、存在意義は保たれることでしょう。
これからの動物園には、動物を「見せる」場所から「ともに生きる」ことを学ぶ場所へと変わっていく努力が求められています。動物を通して環境問題や命の尊さを伝えることができれば、動物園は単なる観光施設ではなく、人間社会の倫理や未来を考えるきっかけとなるはずです。動物園の未来は、私たちが彼らとどう「向き合うか」にかかっているのではないでしょうか。
東山動物園、2025年10月24日、「東山動植物園で飼育していたアミメキリンの「トリノ」が亡くなりました。」https://www.higashiyama.city.nagoya.jp/news/2025/10/post-1390.html
ハンギョレ新聞、2024年6月1日、「動物園のライオンは「物」…放置され餓死しても救助できない=韓国」https://japan.hani.co.kr/arti/culture/50185.html
朝日新聞デジタル、2020年11月8日、「全国に80以上の公立動物園、必要なの? 分かれる意見」https://digital.asahi.com/articles/ASNC761RVNC2UUPI007.html
朝日新聞デジタル、2025年10月26日、「ゴリラもキリンもゾウもいない 様変わりした動物園のこれから」https://digital.asahi.com/articles/ASTBR2T0ZTBRULZU002M.html?iref=pc_ss_date_article
