2026年で水俣病の公式発見から70年が経ちます。1956年に新日本窒素肥料(チッソ)水俣工場の付属病院長が水俣保健所に脳症状が現れた患者の発生を報告しました。このことにより同年5月1日が「水俣病公式確認の日」とされています。筆者は3月16日、17日に熊本県水俣市に足を運びました。
水俣病は工場からの廃水が原因となり引き起こされました。原因物質であるメチル水銀により神経系が侵される中毒性疾患です。症状は感覚障がいや視野狭窄、聴力障がい、運動障害など多岐に及びます。工場のアセトアルデヒド酢酸設備内で生成されたメチル水銀は工場排水として百閒排水口から水俣湾に流れ込み、魚介類を汚染していきました。
これがバクテリアを介してエビや貝、魚などに取り込まれ、汚染された魚を食べた人間に被害が広がりました。しかも、汚染された廃水は1958年には水俣川河口に放流されるように変更され、被害はさらに拡大しました。この水俣病の発生は68年9月26日に厚生省が発表した政府統一見解によって正式に認められています。
水俣病が広まる発端となった百間排水口は新水俣駅前のチッソ工場付近にあります。この排水口の樋門は腐食が進み、撤去が検討されていました。しかし、患者団体などが強く反発したことから、2025年4月に新しい門が取り付けられ、その象徴となる樋門は現在も保存されています。
水俣で起きたこの出来事を伝えるための水俣市立水俣病資料館があります。ここでは当時の病院の状況を表す映像や病状を和らげるために飲んだ患者の薬の包装などが展示されていました。そうした展示を見るごとになぜ原因となった排水をもっと早く止めることができなかったのかという思いが募ります。
もう一つの施設である水俣病歴史考証館には、交換前の百閒排水口の樋門が保存されています。その他にも水俣病の発見までの時系列の表や当時の新聞記事、さらに車椅子や視野範囲が限られたゴーグルなどで症状を体感できる展示もありました。
エコパーク水俣も訪れました。この公園はメチル水銀を含むヘドロがたまっていた水俣湾を埋め立てて完成した場所で、面積は41.4haという広大な公園です。実際に埋め立てられた土地は合計で58.2haに上り、これだけの敷地を埋め立てないほどまでに拡大してしまったメチル水銀による被害の深刻さが伝わります。母親の胎内でメチル水銀の影響を受けてしまった胎児性患者や語り部の皆さんからお話を聞く機会もあり、同じ地域の中でも水俣病であることを告白できない当時の社会状況や匿名の手紙での誹謗中傷などを見て胸が締め付けられることが何度もありました。
水俣から戻って間もない3月26日には、新潟で発生した水俣病の患者を認定した新潟地裁の判決を不服として、県と市が東京高裁に控訴しています。患者の救済までに長い裁判を要するような悲惨な公害病を二度と引き起こさないために私たちはどうしたらいいのか。水俣で得た教訓の意味をよく考え今後も学び続けようと思います。
参考文献:
2026年3月26日付 朝日新聞デジタル 新潟水俣病訴訟、県と新潟市が控訴 8人全員患者認定の判決に不服
https://www.asahi.com/articles/ASV3V2CY5V3VUOHB003M.html
参考資料:
熊本県 水俣病の発生・症候
https://www.pref.kumamoto.jp/soshiki/47/1707.html
法務省 水俣病関係訴訟
https://www.moj.go.jp/shoumu/shoumukouhou/shoumu01_00030.html
環境省 水俣病情報センター
https://nimd.env.go.jp/archives/about/peripheral_facilities/


