※この記事は映画『フランケンシュタイン』の内容を含みます。
1月11日(現地時間)に第83回ゴールデングローブ賞の受賞式が行われました。ノミネート作品の中には、筆者がつい最近鑑賞し、印象に残っていたジェイコブ・エロルディ出演の『フランケンシュタイン』もありました。
主人公は1818年にメアリー・シェリーによって書かれた小説『フランケンシュタイン』に登場する、科学者ヴィクター・フランケンシュタインによって、亡くなった人々の寄せ集めで作られたつぎはぎだらけの人造人間です。
この映画の中で一番印象に残ったフランケンシュタインの言葉があります。ある日、彼が潜んでいた、人と羊が暮らす場所に狼がやってきて、狼は羊を、人は狼を襲いました。彼はその様子を見てこう言いました。
『狩人は狼を憎んでいない、狼は羊を憎んでいない、だが暴力は避けられない、私は思った、多分、これが世界のあり方なのだ、時には自分でいるだけで追われ、殺されてしまうのだ』
この考えは見かけやたった一つの違いなど、あまりにも単純なものが皮肉にも対立や犠牲を生み出し複雑にする、残酷な現代社会を改めて思い起こさせました。ただ、『一概にはいえない』、その心持ちも大切ではないでしょうか。
今回、映画『フランケンシュタイン』の監督ギレルモ・デル・トロは不死身を求め、死を征服しようとする、フランケンシュタインの創造者ヴィクターについてこう語っています。
人々は「完璧」を理想とし、その裏に潜む最大の恐怖を見落としている。本当は「不完全であること」こそ、もっとも望ましい人間のあり方なのに。「世界がこうであればいいのに」と願うとき、人は同時に、世界そのものを否定してしまうんです
この映画の中でもフランケンシュタインは良い行いをしても見かけや人間離れした力などによりいつも勘違いされ、悪者扱いを受けて孤独になります。そんな彼はこの監督が言う、完璧への欲、世界そのものの否定による犠牲といえます。
誰かの極端な完璧を目指す欲が罪のない何かを苦しめ、犠牲にする構図は、残酷ではあるものの、避け難い現実世界を表しているように感じました。それと同時につぎはぎだらけで、知識もない、けれど純粋で『不完全』なフランケンシュタインの姿に望ましい人間のあり方が重なりました。一方で、そのあり方が否定されるこの世界をも映画は表現していたと言えます。
また、この欲によって生み出されたフランケンシュタインをヴィクターは消し去ろうとします。最終的には躊躇うものの、自身の欲による創造に対する責任の放棄と拒絶が見られます。監督は
真の悲劇は生命を生みだした行為そのものではなく、その存在を拒絶することにある
と言い、映画評論家の尾崎一男は
この倫理的な転換は、AIや遺伝子工学といった現代のテクノロジー不安と共鳴する
と述べています。過ごしやすい社会、効率の良い社会、より良い社会を目指すことは素晴らしいことです。しかし、技術が発達し、欲が多方向に働く、働ける現代だからこそ、見過ごされる犠牲や、恐怖があるはずです。
私たち誰しもがヴィクターのようになりうる、ましてや発展した社会が故に彼よりも残酷になりうる、自らのフランケンシュタインを生む可能性を秘めている。そんな教訓を与えてくれる作品でした。(敬称略)
参考資料:
NETFLIX フランケンシュタイン(2025)
ポプラ社 フランケンシュタイン| ホラー・クリッパー| 名作・古典
VOGUE JAPAN 2025年10月20日 モンスターが教える、人間らしさと異端の美──『フランケンシュタイン』ギレルモ・デル・トロ監督にインタビュー Interview&Text: Reiko Shibazaki
MOVIE WALKER PRESS 2025年10月26日 100年以上にわたる「フランケンシュタイン」の映画史…その誕生からギレルモ・デル・トロ版までを俯瞰する 文/尾崎一男