皆さんは、あの時のことを覚えていますか。
どこで、誰と、何をしていたか覚えていますか。発生直後、または震災を知った直後、何を思ったか覚えていますか。ここから先を読む前に、少しの時間で結構ですので、当時のことを思い出してみてください。今日でもう4年、まだ4年というべきでしょうか。年月の捉え方は人それぞれでしょうが、未曽有の大災害から4年の月日が流れた今日3月11日、皆さんは何を思いますか。
今回は、みなさんそれぞれの3月11日を振り返って頂くような機会にしたいと思います。各紙1面の見出しは以下の通りです。
復興へ光を (朝日)
暮らし再建 これから(日経)
防潮堤37%未着工(讀賣)
4年が経過した今日、各紙が被災地の現状や、政府の復興策について触れています。数字から被害や復興の状況を振り返ると、今日までに分かっているだけでも死者約16000人、行方不明者約2600人、避難生活での疲労や持病の悪化による死亡を指す震災関連死は約3200人となっています。復興はどうでしょうか。被災地の鉄道網の91%、主要な国道の99%が復旧し、交通インフラの面からは着実に進んでいるように感じられます。しかし、現在でも約23万人もの方が避難生活を強いられ、東京のオリンピック需要のあおりから人材や資材の確保が難しく、被災者が入居する災害公営住宅の完成率は16%どまりとなっています。加えて被災3県の防潮堤の37%が未着工となっており、被災者の生活での復興は道半ばといった印象を持たざるを得ません。
今日までこのような爪痕を残すほどの被害をもたらした東日本大震災といっても、これをお読みの方も当時の状況は様々だったであろうと思われます。2011年3月11日、当時の筆者は東京の高校 2年生、待ちに待った修学旅行の初日、沖縄に到着したその日でした。揺れが無かったため、周囲からは恐怖を感じずに済んでよかったと言われますが、携帯電話が通じない時間があり、家族や友人達の安否が把握できないことに「恐怖」を感じました。振り返ると、幼少期から、携帯電話があって当たり前の若い世代特有の体験だったのかもしれませんね。また、被災地から遠く離れていることもあり、沖縄の観光地では商店の多くに活気があり、東京などでよく見られた自粛ムードはあまりなかったように感じられました。楽しもうにも楽しめず、ニコニコと客引きする店員に対して、無神経な人たちだと苛立ちを感じましたが、今振り返ると、意気消沈の筆者たちは活気ある街に救われたようにも思えます。
辛く悲しい出来事を毎日考えているというのは正直、難しいと思います。被災された方に限らず、震災が起きた日がやってきたといっても、昨日と同じように多くの方が働き、学んでいます。前を向かない訳には行かないのです。それぞれが果たすべき役割を果たすことが復興にも繋がると筆者は考えています。これをお読みの方も今日しなければならないことがあるでしょう。でも、忙しい中のほんの一瞬であっても、あの日、どこで、誰と、何をし、過ごしていたのかを振り返ることが、風化を防ぎ、今後訪れるであろう震災への備えにも繋がるのではないでしょうか。被災地に思いを馳せることは大切ですが、あの日の自分に思いを馳せる。今日は、そのような日でもいいのではないかと考えます。
参考記事
本日付朝日新聞(東京14版):1~3、9、16、17、21、23、27、33、39面
同日付日本経済新聞(同版):1、2、4、32~35面
同日付讀賣新聞(同版):1~4、6、8、10、11、15、18~23、25、33、38、39面