魔女狩りの危うさ

1985年に熊本県宇城市(旧松橋町)で起きた松橋事件の再審公判が行われ、熊本地裁は13年の懲役刑で服役した宮田浩喜さんに無罪の判決を出しました。検察と弁護側双方が上訴せずに判決内容が確定しました。

裁判所前では「再審無罪」「35年目の正義」と大きく書かれた紙を広げる支援者らが喜びの声を挙げていました。

その一方、同じ無罪判決が出ても世間の風当たりが強い事件もあることに気づきました。

一昨年6月に当時12歳だった長女に乱暴したなどとして強姦と児童買春・ポルノ禁止法違反の罪に問われた男性被告に対し、静岡地裁は28日、強姦罪について無罪を言い渡し、児童買春・ポルノ禁止法違反についてのみ罰金10万円が科されました。

判決は、7人家族でありながら、誰一人被害者の声にさえ気づけなかったのはあまりに不自然かつ不合理であると指摘し、「唯一の直接証拠である被害者の証言は信用できない」と結論付けました。司法の場で出された判決です。しかし、SNSでこのニュースが拡散されると非難の声が巻き起こりました。

「司法が解決しないなら子供に殺されても親は文句言う権利はない」

「日本は本当におかしい」

「天罰が必要」

なかなか過激な主張です。こうしたコメントを見るたびに「もう少し冷静になろうよ」という思いに駆られます。

誤解のないように申し上げますが、性暴力を擁護したり、その助けを求める人を軽んじたりする考えは断じてありません。この被告も児童買春・ポルノ禁止法に触れる事実があったとして一部で有罪判決を受けており、それについては厳しく批判されるのは当然でしょう。

しかし、いつから私たちは裁判官になったのでしょうか。事件の断片しか伝えられない報道を見ただけで「この男はレイプしたに違いない」「幼い少女の言い分を信用するべきだ」などとよく軽はずみに言えますね。

この男性は裁判での審理を経て、無罪を勝ち取りました。にもかかわらず、犯罪者のごとく批判される謂れはないでしょう。それに検察側には控訴する道があります。上級審で判決が覆るかどうか分かりませんが、少なくとも現段階で無罪が言い渡されたのです。司法の判断は冷静に受け止めなければなりません。

裁判官でも法律のプロでもない人たちが専門家のようにコメントし、挙句の果てには「家族が口裏を合わせているに違いない」などという憶測を振りかざす。また、事件に全く関係ない記者や政治家の名前を持ち出して彼らに責任を転嫁する。建設的な批判とは思えません。

いったん起訴されたら、たとえ無罪の判決が示されたとしても、犯人として断罪されて、激しい批判にさらされる。そんな社会のあり方に不安を覚えます。同じ無罪判決なのに、立場が違うだけでこうも評価が異なるのかと驚いた数日でした。

参考記事:

30日付 読売新聞朝刊(14版) 37面(社会)「週間NEWS 松橋事件 再審無罪」

28日付 産経新聞ニュース https://www.sankei.com/affairs/news/190328/afr1903280034-n1.html