震災8年。若い力の可能性。

死者1万5897人。行方不明者2533人。関連死3701人。東日本大震災から8年が経った。今なお5万1778人が県内外で避難生活を送っている。また、3000人以上がプレハブ仮設住宅で過ごしている。復興の歩みは道半ばである。

筆者は今日、仙台市の沿岸部・荒浜地区で午後2時46分を迎えた。地区では高さ10メートルに及ぶ巨大津波が押し寄せ、190人以上が亡くなった。

▲冷たい雨が降る中、慰霊碑の前に人がつどった。11日、仙台市若林区荒浜で筆者撮影。

  「あら久しぶりだごどぉ」

慰霊碑の周りに集まっていたのは、震災前に荒浜で暮らしていた元住民たち。3月11日は鎮魂の日であり、再会の日でもある。こうした再会を喜ぶ姿は、昨夏に開かれた灯篭流しでも見ることができた(2018年8月19日「被災地で考えた記憶と伝承のこと」参照)。荒浜は災害危険区域に指定され、住宅の再建はできない。各地に住民が避難した今、慰霊祭が住民の集いの場にもなっている。

そこで気になる光景を目にした。

「なんで目をつぶるの?」

2時46分のサイレンが鳴る中、隣にいた子どもが両親に問いかけていた。3歳くらいだろうか。周りで黙祷をする大人たちに戸惑っている様子だった。この子は震災当時、生まれていない。3月11日に何があったのか分からないのだろう。

被災地では今、震災の教訓伝承が一つの課題になっている。今月7日、震災遺構の旧仙台市立荒浜小学校に訪れた時のこと。案内してくれたガイドの方が「ここに防災学習に来る小学生のうち、4年生くらいになると震災の記憶がない子が多い」とこぼしていた。学びに来なければ、震災の被害を知らないままの子どもがいるという。

▲震災遺構の旧仙台市立荒浜小学校。11日、仙台市若林区荒浜で筆者撮影。

筆者は震災当時、中学1年生だった。激しい揺れ、本震直後の吹雪、凍えるような寒さ、ロウソクの明かりの下で食べた缶詰の味、発災1週間後に見た津波襲来地の腐敗臭。今でも手に取るように思い出せる。

だからこそ「備えの大切さ」をひしひしと感じている。深刻化する記憶の風化を食い止めるためには、震災経験者の伝承が欠かせない。あの日何かあったのか。どうして亡くなったのか。どのようにして命を繋いだのか。何をすれば良かったのか。震災の教訓を次世代へ語り継げば、次の被害を減らす一助になる。

震災を知らない子どもたちが成長する中、当時子どもだった若者が、次世代へ防災のバトンを繋ごうとしている。

震災で1109人の犠牲者が出た宮城県東松島市。ここで語り部活動をする女子大生がいる。当時は小学6年生。先日、東松島市内を案内してもらった。「あのゴルフ場のネットに遺体が引っかかっていた」「あそこで親友の遺体が見つかった」。現場を回りながら、当時の体験を教えてくれた。「たくさん支援をしてもらって今がある。語り部活動を通じて元気な姿を見てもらいたい」。彼女の意思は堅い。

▲東松島市で語り部活動をする女子大生(画像左)と話を聞く学生。7日、東松島市大曲地区で筆者撮影。

仙台市内で開かれた「仙台防災未来フォーラム2019」では、小中学校や私立高校、大学の代表たちが、防災啓発活動の実績を展示・紹介していた。東北学院大学(仙台市)のボランティアセンターで活動している男子学生は「震災の記憶が風化している現場に問題を感じた。だから被災地に通い続けたいと思う」と、活動への思いを語ってくれた。

仙台市内の私立高校2年の女子生徒は「自分たちができることからやりたい」と、仲間たちで作った防災の手引きを紹介してくれた。震災当時は小学3年生だった。あの日の子どもたちは今、自らの役割を考え、行動し、防災と向き合っている。

▲女子高生が作った防災パンフレット。10日、仙台市内で筆者撮影。

▲仙台市内で開催された仙台防災未来フォーラム。会場には、防災関連の展示が並んだ。10日、仙台市内で筆者撮影。

津波の被害で内陸に集団移転した東松島市の自治会長は、子どもたちに期待を寄せる。「上手にやることだけがボランティアじゃない。安らぎをつくることがボランティアの役割」とした上で「子どもの力は暴力や腕力ではない。大人だけで上手くいかなくとも、若い人がやれば上手くいくこともある」と、若者の力の可能性について語る。

子どもの時に被災したからこそ、今の子どもたちと近い目線で震災を語り継ぎ、防災について考えることができる。若者の活動は、次世代へと防災意識をつなぐ鍵になり得る。

今日は単なる震災の節目ではない。あの日の出来事を思い、自分たちに何ができるかを振り返る日でもある。次の世代へどのようにバトンをつなぐか。私たちの行動が、未来の命を守ることにつながると信じてやまない。

参考記事:
11日付河北新報朝刊(16版)1面「東日本大震災 きょう8年」他、一連の記事
同日付朝日新聞朝刊(東京14版)1面「避難なお5万人超 原発廃炉難題」
同日付読売新聞朝刊(東京13版)31面「復興の歩み 着々と」

参考資料:
仙台市「仙台市災害危険区域について」