空港の税関を抜けると、到着ロビーのあちこちから組市松紋のエンブレムが目に飛び込んできた。街に溢れる「TOKYO2020」の文字。この字面を見るたびにうんざりする。五輪・パラリンピック開催が決定した日から、この国の照準は一斉に2020年となった。何かと言うと「2020年までに」「五輪に間に合わせるために」。今朝の朝刊もだ。「五輪へ 準備大詰め」。見出しには、2020年への期待と高揚感が漂う。
▲到着ロビーでは東京五輪・パラリンピックのエンブレムが出迎える(羽田空港で筆者撮影)
東北出身の筆者は釈然としない思いが募る。当初は東日本大震災からの「復興五輪」などと謳われていた。蓋を開けて見ると、東北への恩恵はどこに行ったのか。一部競技の開催が「おこぼれ」のように回って来ただけである。事実、東北地方の経済界の期待は想像より薄い。東北経済産業局によると、一昨年秋に実施したアンケートで、東京五輪・パラリンピックによって「好影響が期待される」と答えた東北管内の自治体・商工団体は39.2%に留まっている。半数以上は「特に影響はない」「分からない」と回答しているのが現実である。「復興五輪」の看板はもはや錆びついているのではないか。
「せっかくの五輪に水をさすな」と言われるかもしれない。だが、あえて言いたい。「五輪は復興の妨げにもなり得る」と。
東京は今、華やかな2020年へ向けて再開発が盛んになっている。神宮外苑の新国立競技場はその象徴とも言えよう。建築資材や現場作業員は、五輪関連の工事に回された。一方、被災地では資材と人員不足に悩まされている。国立競技場から北に500キロ。岩手県陸前高田市では、3年ほど前から建築部材の高騰で入手が難しくなった。復興作業員は2割程度足りないという。同市の区画整理事業と新競技場建設費用は共に1500億円程度。競技場は3年でできても、陸前高田の街は8年経った今も道半ばだ。
復興五輪とは、一体何なのだろう。
復興庁は先月18日、東日本大震災の復興期限とする2020年度末になっても復興事業が完了しないとの見通しを発表した。一部公共事業は20年度以降も完了せず、プレハプ仮設住宅も継続されるという。平成の災害が平成を終えても終わらない、異常事態が起ころうとしている。また、先月末時点でも震災の避難者数はおよそ5万4000人。避難先での自殺や孤独死も相次いでいる。この状況を見過ごすことはできないはずだ。
そして何より、東京電力福島第1原発の行方は今も世界から注目されている。筆者が留学中の韓国では、事あるごとに「フクシマの原発は本当に大丈夫なのか」と尋ねられる。汚染水の漏れや今も続く帰還困難区域の指定。筆者は「国が懸命にやっているはず」と答えるのが精一杯だった。
「五輪、五輪」と唱えていれば何かが解決するわけではない。首都の歓喜だけでなく、私たちは地方の窮状に目を向けなくてはならない。
そういえば、元旦の朝日新聞にはこんな記事が載っていた。人工知能(AI)が予測した、日本が辿るであろう2万通りのシナリオのうち、「都市集中型」で進むと人口減少と格差の広がりに歯止めがかからなくなるという。一方「地方分散型」で進むと、出生率や格差が改善し、幸福度の高い社会が形成されていくという。都市型に進むか、地方型に進むか。シナリオの分岐点は7〜9年後に迎えるらしい。
五輪の後には大阪万博が控えている。このまま大都市のビッグイベントにばかり目を向けていくとどうなってしまうのか。そう考えると、五輪や万博を素直に喜べない自分がいる。それでもはっきり言っておきたい。
五輪なんて、大嫌いだ。
参考記事:
5日付日本経済新聞朝刊(東京12版)27(東京・首都圏経済)面「五輪へ 準備大詰め」
1日付河北新報朝刊(16版B)39面「復興の象徴 被災地遠く」
同日付朝日新聞朝刊(東京13版)2面「エイジング ニッポン 変わらないことがリスクだ」
2018年12月19日付朝日新聞(電子版)「東日本大震災の復興事業、20年度に完了せず」
参考文献:
・東北経済産業局「東北地域における東京オリンピック・パラリンピックに向けた取り組み事例調査」( http://www.tohoku.meti.go.jp/kikaku/index_olympic.html )
・復興庁「全国の避難者数」
(http://www.reconstruction.go.jp/topics/main-cat2/sub-cat2-1/20181228_hinansha.pdf )