「死にたい」への答え方

「死にたい」って思うこと、みなさん週に何回くらいありますか?

すごくフランクな聞き方をしてしまいましたが、それでも実際、結構な数の人が割とフランクに使うワードだと思うのです。特にSNS上では。

私自身「あー、無理もう死にたい、猛烈に」と瞬間的に思ってツイッターに「死にたい」とつぶやくことはあります。けれど、本当に死にたいわけではありません。そこまで長生きで大往生したいとは思っていませんけれど、だからって今すぐに死にたい、もう生きていたくないと思うことはほとんどありません。ありがたいことに、それなりに幸せです。

しかし、SNSにあふれる有象無象の「死にたい」の中に、本物の「死にたい」が混ざっていることがあります。

昨年10月、神奈川県座間市で男女合わせて9名の被害者を出した死体遺棄事件を覚えているでしょうか。かなりセンセーショナルな事件で、当時ニュースはこの事件の話題で持ちきりでした。あの事件の発覚から、今日で1年です。被害者の多くはSNSで「死にたい」とつぶやいており、加害者の男性は「自殺幇助」と称してその被害者たちに接触したと言います。この事件以降、SNSでの相談を受け付ける民間の支援団体が増加したり、SNS上での発言の規制などが強化されました。

これらのことを受けて、厚労省はSNS相談に関する「望ましいと思われる対応の案」を来年3月までに正式に定めるとしているそうです。

SNSって、何でも気軽に発言ができてしまいます。不特定多数の誰かが見ていてくれるという気持ちの半面、どうせ誰も見ていないという考え方が強いから。面と向かって相談などをするわけではないから、相手に対して「こんなことを言ったら憚れるかな」というストッパーがなくなります。言ったその場では誰にも何も言われないものだから、それこそ何を言おうが言った者勝ち。本気だろうが口だけだろうが、「死にたい」だろうが「死んでほしい」だろうが、言いたい放題です。さらに悪いことに、本当に死にたいと思うほど精神に負荷がかかっている人ほど、ちょっとコンビニに行くような感覚で死を選んでしまうと言います。朝のホームで突発的に飛び降りてしまう人に多いそうです。

さて、今朝の朝日新聞朝刊にはSNS上でそんな状態になっている人へ向けた応答例が載っています。一面の真ん中にありますので、見てみてください。この応答例を「死にたい」と本気で思っている人がいたら、複雑な気持ちになるでしょう。だって、支援団体などといっても何も知らない人たちから急に、すでに用意されていたような回答が届く。確かに、助けてくれる人がほしいとは思うけれども、こんな人たちに自分の辛さの何がわかるのだろう。コピペでもしてるんじゃないかな。特にSNSという文字だけの世界でのやり取りですから、相手の気持ちなんてお互いにわかりません。

何が言いたいかといいますと、支援団体は大切かもしれません。それで救われる人も少なからずいると思います。けれども大切なのは、知らない人からの真剣な気持ちより、知っている人からの軽い誘いなんじゃないかと思うのです。通りすがりの知らない人がいくら親切にしてくれても、自分を知っている人からの「ご飯でも行こうよ」には勝てないのです。

ですからもし、あなたの手元に「死にたい」という文字が見えたら、そしてその人に対して「死んでほしくはないなぁ」とちらっとでも思うのなら、ひと声かけてあげてほしいのです。知っている人からのひと声って、ギリギリの状態だと結構パワーがあるのです。あなたの周りだけでいいです、あなたの知っている人だけでいいです、あなたの声が届く範囲で構いませんから、うんうんと言いながら聞くだけで充分ですから。

「死にたい」ところまで行かなくても、友達が落ち込んでいたら「どうした?」って声をかけるじゃないですか。それでちょっとだけ愚痴を聞くでしょう。そんな感覚でよいのです。しょんぼりの積み重なりで人は死にます。「死にたい」に行き着く前に、心のお掃除を手伝ってあげてください。「死にたい」っていう人は、「生きているのが辛いから死にたい」のでしょう。生きているのが辛くなかったらそりゃ生きたいでしょうから。

ガイドラインなんかいりません。助けたい相手の気持ちを考えれば、おのずと言葉は出てきます。

参考記事:
30日付 朝日新聞朝刊(大阪14版) 1面 「若者自殺防止 SNS応答例」