シェア文化、光か影か

雨の季節、電車の中や教室で誰かが置き忘れた傘をちらほらと見かけます。「持ち主はさぞかし困っているだろうな」と思いながら、ふと脳裏をよぎるのは中高時代の記憶です。

私の出身校では、生徒会が傘を貸し出していました。この制度が始まった時は、ずいぶん画期的な取り組みだと感心したものです。しかし、あまりの返却率の悪さに運営が成り立たなくなり、結局は廃止されてしまいました。図書館の書籍など、みんなの共有物に対しては、ルールを守ることはもちろんのこと、利用者のモラルが求められます。また、利用者にそれらを認識させ、実践されるような仕組みづくりも必要です。

今、「シェアリングエコノミー」、共有型経済の動きが広がっています。使われていない資産や時間を他人と交換して利用する仕組みのことで、家、車、労働など様々なものが対象になってきました。

シェアの文化自体は昔からありました。例えば、シェアハウスは「下宿」、民泊は「民宿」。タクシーもホテルも事業者を通じて他人と共用しています。しかし、これまでと異なる点は、インターネットの普及によって仲介者なしに個人が直接サービスを供給できるようになったことです。これは、兼業、副業の可能性を増やし、独立した事業を始めることも促します。人々の働き方、ひいては社会の仕組みを大きく変えることにもつながるでしょう。

目まぐるしく変化する現代、豊かさの物差しが物や財産の多さではなく、安心を感じられる場所やつながりの広さに変わりつつあるという意見もあります。だからこそ、孤独や不安を分かち合えるシェアハウスにとどまらず、人とつながることのできるシェアの仕組みが広がっているのかもしれません。

皮肉なことに、社会問題の共有は衰退しているように感じられます。格差も貧困も自己責任であるという風潮が強まっています。解決の責任をシェアし遂行するシステムが国であり社会であり、社会保障制度はそれを体現した仕組みのはずです。人の痛みや苦しみもともに考えることができなければ、シェア文化は単なる利便性や豊かさの追求にとどまってしまいます。

今日、住宅宿泊事業法(民泊新法)が施行され、民泊に期待が高まっています。近隣住民による不安の声も聞こえますが、普及していくことでしょう。限りある時間や資源を有効に使ううえで共有は効果的です。しかし、それは相手との関係の中で生まれる問題や責任も同時に抱え込むということ。一人ひとりがそれを自覚して利用していくことが、今後のシェア文化の発展に不可欠ではないでしょうか。

 

参考記事

15日付 朝日新聞(東京12版)13面(オピニオン)「シェアの未来」