不思議な言葉、愛国心

私には少し変わった友人がいます。どこが変わっているのか。それは、「47都道府県の名称、場所をあまり理解できていない」ことです。

以前、その友人と日本の地理について、色々話しました。すると、こんな言葉が彼の口から、何のためらいもなく出てきました。

「和歌山県ってどこ?愛知県にくっついてるの?」

それを聞いて咄嗟に、

「日本に何年も住んでいるのに、47都道府県がどこにあるか分からないの?」

と問いただすと、

「別にすべてわからなくても良いじゃん。そもそも47個すべて覚えるなんて意味ないよ。 住んでいる県の周りだけ知っていれば大丈夫」

すべて分かっている方がおかしいのだと言わんばかりの答えに、何も言い返すことが出来ませんでした。

 

しかし、友人と同じような境遇の人がある一定数いると言うことがもっと衝撃的です。日本について理解しようとする想いが薄いのでしょうか。

私はよく「愛国心」という言葉を耳にします。

「今の若者は愛国心がない」

「愛国心をもってこれからの社会を生きていくように」

「自分の生まれた国を卑下してはいけないよ」

これらは、学校の授業や講演会で何度も聞くフレーズです。そして、同時に思うことが一つあります。

 

「愛国心って結局なんだろう?」

 

今朝の朝日新聞に、日本をテーマにした歌を発表したところ、その歌詞が批判の的になり、作った本人が謝罪するという内容の記事が載っていました。その方は、思想的、政治的な意味を交えず、日本のことを歌いたいと思って制作したそうです。しかし、本人の意図とは異なり、ツイッターでは「軍歌のようだ」と指摘されました。その他有名アーティストに対しても似たような批判が、以前にあったことが紹介されています。自分が素直に思った日本の情景を書き綴っただけで、多数の人から批判されることがとても不思議に思います。

 

このような出来事が起こるたびに、愛国心とは何だろうと考えてしまいます。

 

住んでいる国に対して、半ば強制的に誇りを持つように教えられたり、好きだから歌や言葉にして表現すると、批判や変な目で見られたりします。その表現がいかにも国を侮辱、風刺していると感じたのであれば、仕方の無い面もあるでしょう。しかし、あるフレーズから、勝手に自分で解釈して批判するのは筋違いではないでしょうか。

愛国心はもっと穏やかなものだと思います。例えば、近所を散歩しているとき、公園から子供たちの賑やかな声が聞こえたり、どこかの家から煮物の匂いがしてきたりして、「なんだかほっとするなぁ」という感情。それが、私の思う愛国心です。

 

参考記事:

14日付 朝日新聞朝刊 14版31面「RADWINPS新曲 「愛国」歌詞に賛否」