暑がりの自分にはつらい季節になりつつありますが、ほっとしていることも。路上生活をするには過酷な冬が去り、シャツ1枚で過ごせるようになったからです。夏は夏で脱水症状などの危険がないわけではありませんが、ホームレス支援のボランティアで出会った当事者の方々は「冬に比べたらずっといい」と口を揃えます。
この冬でぐっと距離が縮まった人がいます。Iさん、60歳。父と同い年だと聞いて、最初は驚きました。小柄な体格もあいまって、一回りは上に見えたからです。普段は公園に寝泊まりしていて、炊き出しの時にいつもテントの設営を手伝ってくれます。簡単にはほどけない紐の結び方を見せてくれたり、ささっと壊れたランプを修理してくれたりと、とても器用な方です。私はその都度「すごいですねぇ」と感心していました。
どうしてなんでもこなせるのか。気になって聞いてみると、身の上話をしてくれました。その際、近くにあったメモ用紙に丁寧に自分の名前を書いてくれました。はじめてきちんと向かい合えた気がして、うれしくて、その紙はいまも大切に持っています。Iさんは北海道の農家に生まれ、家族6人分の食事をつくっていたそうです。職業訓練校に通ったあとは神奈川の会社に就職しましたが解雇され、その後は旋盤工など職を転々とします。機械に強いのは工場での部品組み立ての経験が活きているようです。「最後にやったのが便利屋。ゴミ屋敷の掃除とか、結婚式の代理とかとにかく色々やった」。
先日、この夏にインド旅行に行く予定であると伝えると、別れ際に「気をつけて(行ってきて)」と声をかけてくれました。心遣いがしみました。
団体で管理しているシェルター(個室)に空き室が出ると、Iさんにも「どう?」と声をかけるのですが、まだ首を縦に振ったことはないそうです。Iさんだけでなく、どんなに寒さが厳しくても、腰が痛くても、体調が悪くても「まだいい」と生活保護申請やアパートへの入居を拒む人はけっこう多いのです。
事務局長はSNSで下のように綴っていました。
「まだ」って、何時になったら、または何がおきたら「まだ」が終わるんだろう?「いい」って、「この生活がほんとにいい」という積極的な「いい」と、「もうこのままでいい」という諦念の「いい」の間の振り幅のどの辺りの「いい」だろう?
何とか自分で暮らせている、生活環境が変わることへの不安、保護を受けることへの自責の念、新たな住環境や人間関係への不信感などなど、その理由は人それぞれだと思います。Iさんには理由をちゃんと聞けていません。ただ、ほんのりと心配する・される関係になってきて、ただのうぬぼれかもしれませんが、ひょっとして次に声をかけたら話くらいは聞いてくれるんじゃないか、と思うのです。どんな風に日々を過ごしたいのか、少しずつ聞いてみたいです。
私たちは基本的には当事者の意思や尊厳を重んじていますが、それを大切にしすぎると、ぎりぎりまで耐えてしまう人が減らないというジレンマもあります。
今日の新聞で、日本女子大の岩田正美名誉教授が「寄せ場」地区の話をしていました。「東京・山谷地区のように、日雇い労働者に仕事をあっせんする“市場”で、簡易宿泊所街でもある」と説明しています。こうした「特定の場所に貧困は囲い込まれ、人々の視野に入らなくなった」と岩田さんは言います。
支援者の間では、2020年の東京五輪・パラリンピックを前に、ホームレスの人々が街から排除されるのではという懸念があります。今も、地区のお祭りがあったり、段ボールハウスが集まっている付近に新しいお店ができたりすると、元いた場所から立ち退かされることがしばしばあります。駅や道端はみんなのもので、人が寝るスペースではありません。それは確かにそうです。しかし、移動させられた人たちはその場からいなくなっただけで、存在自体はけっして消えません。
各々の暮らしがある中で、みんながこの問題に一生懸命になれるわけではないし、その必要もないのかもしれません。でも自分は、同じ社会で起きていることはいつか自分の身にも返ってくるような気がして、ホームレス状態の人々から目が離せずにいます。
参考記事:
16日付 読売新聞朝刊(東京12版)11面(解説)「段ボールハウス村 貧困「かたち」変え現れる(あの時 平成時代)」