女でよかったと思っています。現代の日本の、標準的な家庭に生まれたからかもしれないけれど、それでもやっぱりいろいろと、得をしたことは多いです。
ジェンダーについての論争は、敗戦後の日本をGHQが統治したことで一気に巻き起こりました。当時の日本は男尊女卑、男が職を得て女は家を守るためだけに存在するというような価値観が一般的でした。そこから徐々にではありますが、女性の社会進出が浸透していったのは、皆さんご存じの通りです。
さて、女性の社会進出について、肯定的な意見が増えた昨今、皆さんは現代のジェンダー論争についてどのようにお考えでしょうか?
わたし個人の意見として言うならば、昨今の論争の一部には懐疑の念を抱いてしまいます。 女性というだけで出世ができない、ただ単に女性より男性の方が偉い、という価値観は是正されてしかるべきでしょう。
けれど、最近のジェンダー論争の的になっているのはそういったものではないように感じませんか?
「看護婦」は差別用語だから「看護師」と言うように。女性専用車両は逆差別ではないか。
そういった、行きすぎたジェンダー論争をより多く見かけるように感じます。また、女性は依存的で受動的、守られるべき弱い存在、女らしさはしとやかさ、といったステレオタイプな見方を察知し、批判する。そんなことに過敏になってはいないでしょうか。
ステレオタイプそのものが悪いかと言われると、そうでもないと思います。女性は受動的で依存的、守られる立場になる傾向があるのは、生き物として本当のことだから。ただ、全員がそうではないということ。必要としている人には手を差しのべ、不必要な人には押し付けない。昨今のジェンダー論争には、そういったちょうどよい配慮が足りないのだと思います。
一番いけないのは、本人の努力ではどうにもならないことを理由に人を不当におとしめて嘲ることです。ジェンダー論争にしろ差別問題にしろ、根幹は変わりません。なくさなければいけないのは、無意味な意固地であって、ステレオタイプではありません。
女性のみなさん。女であることを誇りに持てると、現代の日本は楽しいです。そして、助けてもらえるときには甘えましょう。一人で生きていけることも、少し甘えすぎることも、どちらも許されるのが女性の強みではないですか。私たちが男の人と全く同じ扱いを受けたら、きっとすごく大変です。
男性のみなさん。男だから女を守らなきゃ、女の人は弱いから。その姿勢、とてもかっこいいです。男の人がいてくれて助かること、本当にたくさんあります。ただ、自分より弱いことが悪いことではないという点だけ、知っておいてほしいのです。女はもちろん、男だって。
女らしく、男らしく。
女だって、男だって。
両方許されてこその、男女平等というものでしょう?
参考記事:
25日付 朝日新聞朝刊(大阪14版) 4面(総合4) 「政治断簡 きっとベアテに怒られる」
同日付 朝日新聞朝刊(大阪13版) 11面(オピニオン) 「ジェンダーとメディア」