本を読まないということは、そのひとが孤独でないという証拠である
作家・太宰治の『如是我聞』に登場する名文です。この言葉に出会ったとき、とても共感して、なんだか救われたような気持ちになったことを覚えています。本来この一文は、当時の文壇を批判したものです。しかし、友達作りが苦手で本ばかり読んでいた中学生のわたしにとってはある意味で救いになりました。本が好きだということも、友達がいなくて孤独を感じていることも、悪いことではないと思えたのです。
太宰治が文学で誰かを救おうと意識していたかはわかりませんが、現代でも文学によって孤独感から誰かを救おうとしているひとがいます。
セーラー服歌人「鳥居さん」をご存知でしょうか。生きづらさを詠み、第一歌集が異例の売れ行きとなっている現代の歌人です。大阪市内でフリースクール「子ども短歌講座」を開いて、もうすぐ1年になるそうです。「鳥居さん」は短歌について語り合う場が「さみしい時、悩んでいるときの、心のセーフティネットになれば」といいます。
この「鳥居さん」、本名も年齢も明かしてはいません。ただ成人した今も、学ぶことの象徴としてセーラー服を着ています。昨年6月から月に1回、フリースクール「フォロ」で、不登校の子供たちを対象に短歌講座を教えています。4月に開かれた講座では、参加者がインターネットから好きな短歌を探して持ち寄りました。
何となくわかったような気になって「登校拒否」とその子を呼べり
「勝ち負けの問題じゃない」と諭されぬ 問題じゃないなら勝たせてほしい
国語教諭から歌人になった、俵万智さんの歌です。クラスになじめず、小学校6年生のころに不登校になった一人が選びました。心にすっと入ってくる歌。きっと、孤独を経験したことのないひとには決してわからない気持ちでしょう。けれど、孤独の経験がないことはとても幸せなことでもあります。経験しなくて済むなら、それに越したことはありません。
帰る家なくして歩く通学路 絵具セットはカタカタ揺れて
「鳥居さん」は小学校5年生の時、シングルマザーのお母さんを自殺で亡くしました。精神を病み、寝たきりになったお母さんにつらく当たられたこともあるようです。それでも懸命にご飯を作り、絵本を読んでくれたお母さんに宛てた歌は数え切れません。引き取られた児童養護施設内で虐待に遭い、DV被害者のシェルターに避難したり、ホームレスになって公園の水でしのいだりした経験から絞り出される歌。「孤独を受け入れら先に短歌が生まれるんだな。」という強い思いが読み込まれた歌は、そのうちに「鳥居さん」の居場所になりました。
辛さや苦しさ、孤独感に大小はありません。経験しないに越したことはないのも確かです。けれども「鳥居さん」のように、自分の経験を糧にして、別の辛さや苦しさを救っているひともいます。
わたしも、そんなひとになりたいです。
参考記事:
4日付 朝日新聞(京都)「三十一文字紡ぐ世界は私の居場所」