「君はねぇ、成功しようと思うから駄目なんだよ。命を賭してやるんだ。それだけの決心があればそれで十分じゃないか。儂もこの戦争ではなぁ、博文の生命、財産、地位、名誉すべてを国家に捧げるつもりでおる」
映画「二百三高地」より
倒幕により西欧列強のような近代化を急ぐ日本。「富国強兵」を掲げ、日本を国際社会で生き残れる国家にするために明治の賢人達は東奔西走していました。その中で満州の開発権利を巡り、当時の陸軍規模としては世界最大のロシア軍と衝突しました。
その日露戦争最大の激戦地として有名な203高地を舞台にした「二百三高地」という傑作映画があります。その中に、当時の政治家達の奮闘ぶりが伝わるワンシーンがあります。
森繁久彌演じる伊藤博文は、発展段階の日本が工業や軍事の面で近代化したロシア帝国に勝てないと分かっていました。そこでハーバード大学出身の金子堅太郎を呼び出し、アメリカによる仲裁と資金援助の約束を取ってきて欲しいと頼みます。しかし、ロシアとアメリカの密接な関係を知っている金子は伊藤の願いを渋ります。そんな金子を伊藤は冒頭に挙げたセリフで説得し、日本の未来を託しました。
これは映画ではありますが、明治の政治家達が国際社会という無政府状態の下を生き残るために命を懸けて戦っていたことがわかります。では、現在の政治家はどうでしょうか?
25日の夜、今村雅弘復興相が不適切な発言を繰り返したことにより辞任しました。今月4日にも原発被害による自主避難者に対して、「本人の責任」などと発言し物議をかもしていましたが、昨日のパーティーの席において「東日本大震災が東北の方で良かった。首都圏から遠くて、被害が少なかった」という趣旨の失言をしました。
「復興大臣がそんなことを言っていいのか」という批判や倫理性の問題がまずありますが、そこはあえて控えます。百歩譲って、「考えること」自体は自由なので、その部分については頭ごなしに否定はしません。しかし、自身の発言をコントロールできない政治家というものはどうなのでしょうか。内政に関与しているだけでなく外交に関わっている政治家の発言力というものは、一般の国民とは影響の度合いが違います。それだけ責任が重くなるのは、当然のことでしょう。
稲田朋美防衛大臣が籠池夫人についての答弁のなかで、「奥様らしいなぁと思います」とした発言など、閣僚の失言が絶えません。私は、政治家に清廉潔白を求めることは間違っていると思いますが、自らが担う責任についてはしっかりと認識して頂きたいと思います。
参考文献:
26日付 朝日新聞朝刊(東京14版)1面(総合)「今村復興相、辞任へ」