先日、朝日新聞記者サロン「学生がいま、水俣を学ぶワケ」に学生ボランティア代表として参加し、認定NPO法人「水俣フォーラム」理事長・実川悠太さんと朝日新聞西部報道センター記者・福井万穂さんとオンラインで対談しました。その様子は14日から配信されます。
水俣展に学生ボランティアとして関わり始めてから約1年。実際に現地を訪れ、あらたにすで関連記事を3本書き、「水俣・福岡展2023」の運営に携わりました。本稿では、水俣に取り組んだ1年間を振り返っていきます。
■水俣病に対するこれまでのイメージ
大学生になって水俣に向き合うまで、水俣病は克服された過去の公害病、というイメージでした。北九州市出身の私は小学生のときから、他の地域の学生よりも環境学習に取り組んできた自負があります。しかし主に学んだことは、北九州工業地帯における大気汚染について。当時、公害は環境の問題というイメージが強かった。だから、健康被害まで考えても、それに伴う差別や患者さんの生きづらさまで思いを巡らせられなかった、と今では思います。
■水俣病犠牲者慰霊式
水俣病の印象が大きく変わったのは、昨年5月1日。熊本県水俣市を訪れ、「水俣病犠牲者慰霊式」に参加したことがきっかけです。
博多駅から新幹線で1時間ほどの水俣市。木々に囲まれた、自然豊かな場所でした。当たり前のことですが、地元の人々には日常が流れています。まさかここで悲惨な公害事件が起こったなんて、想像できませんでした。
慰霊式では、患者・遺族代表の言葉や原因企業チッソの木庭竜一社長の謝罪、市内小学生の決意などを聞きました。加害者と被害者が同じ場で犠牲者を弔う様子に、珍しさを感じました。また中でも、患者・遺族代表である松崎政司さんの祈りの言葉にある「水俣病問題の収束はまだ遠い」という発言が最も印象に残っています。
水俣から帰る新幹線の中で、水俣病の解決とは何か、解決のときは来るのか、今一番の最善策とは何か、考え込みました。この日以来「水俣」という言葉に敏感になり、関連する書籍を読むようになりました。
■「水俣・福岡展2023」
福岡市にある福岡アジア美術館で1か月以上をかけて開催された「水俣・福岡展2023」。学生ボランティアとして参加し、展示説明や入場受付、書籍・物販販売を担当しました。水俣の自然や水俣病とは何か、から、現在も続く訴訟まで、展示の内容は非常に濃いです。小学生から高齢の方まで年齢の幅が広く、国外から来られた方も多くいました。水俣に対する関心は、今も人々の間にあるようです。
しかし、水俣が忘れられようとしていることも、また事実です。水俣展のボランティアをすると友人に伝えても、珍しがられるだけでした。知るべき事実がたくさんあると言っても、実際に来てくれたのは少しだけ。関連書籍を読んで勉強しても、本当に伝えることができているのだろうか、と無力さを感じることもあります。
それでも、嬉しいこともありました。水俣展に来てくれた社会科教員志望の友人が、「日本史や政治経済の授業で水俣病に触れたけれど、知らないことがたくさんあった。社会科を教える立場になったとき、水俣展で学んだことを生徒に教えたい」と言ってくれました。水俣病の被害を訴えるために闘ってきた人々、記録してきた皆さんが伝えてくれたことを、友人やその次の世代に繋げることができたのではないか、そう思うと水俣展に関われて良かったと心から思います。
■今後
大学に入って、まもなく1年が経とうとしています。1年前の、高校を卒業したばかりの私は、髪を染め、入学式用のスーツを買い、新たな生活の期待に胸を膨らませていました。このころの私は、学生記者として実名で記事を書いたり水俣病に取り組んだりするなんて思ってもいませんでした。
私は今、児童虐待や親権など子どもの権利を考えていきたいと思っているものの、大学卒業後、何をして生きていきたいのか悩んでいます。けれど、何をすることになっても、水俣の経験は活かせるはずです。今後も関心を伸ばしつつ、活かすための方法を探していきます。
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