「ことば」で考える女性らしさ 「腹減ったぞ」は許されない?

12月に入り、2023年も残すところあとわずかとなりました。街にクリスマスツリーが飾られたり、イルミネーションが始まったりと、クリスマスに向けてムードの高まりが感じられます。

国内外問わずクリスマスに関する様々な催しが企画されていますが、近年で筆者の記憶に強く残っているのは、2021年に丸の内で飾られていた『ハリーポッター』のツリーです。

小学生の頃からハリーポッターの本や映画に親しみ、最近では舞台やスタジオツアーを楽しむほど大好きであるだけに、ツリーの装飾にハリーポッターならではの音楽が相まって感動したことを覚えています。

 

本の『ハリーポッター』は、日本では第1~7巻合計で2,360万部(08年8月8日時点)[i]を売り上げるほど人気のシリーズです。

一方で、しばしば「女ことば」について考える際に持ち出されることがあります。

「女ことば」がどんな話し方を指すかについては諸説ありますが、いわゆる女らしさを表現する言葉づかいがこれに当たると考えられます。

文中で「あたし、お腹すいたわ」と「おれ、腹減ったぞ」という発言があった場合、前者は女性、後者は男性が発した言葉だと推察できます。

 

『ハリーポッター』では、女子学生であるハーマイオニーの発言にしばしば「~だわ」、「~よ」という語尾が付けられていることがあります。筆者自身、小中学生の時は特に気にせずに読み進めていたものの、文章での言葉づかいと実際に話されている言葉づかいが異なっているため、次第に違和感を覚えるようになりました。

(筆者作成。中村p.52参考)

「女ことば」を使うこと自体に反対しているのではありません。『ハリーポッター』のように多くの人物が登場する作品では、これを活用することで人物を書き分け、読者に分かりやすく伝えようと工夫した結果とも考えられるためです。

 

そもそも、なぜ女性の発言に「女ことば」が割り当てられるのでしょうか。

先ほど取り上げた「あたし、お腹すいたわ」「おれ、腹減ったぞ」という言葉づかいについて考えると、筆者が日常で使ったり聞いたりすることはまずありません。

 

「女ことば」と「男ことば」について書かれた本では、以下のような説明があります。

「男女はどのように異なる言葉づかいをするのか」を明らかにする性差研究がたくさん行われた。

しかし、実際に使われていることばを分析してわかったのは、私たちはさまざまなことばを使い分けており、話し手の「性」だけにもとづいて「ことばの性差」を抽出することなど不可能だということだった[ii]

どうやら「女ことば」は女性にもともと備わっている要素に基づいた本質的なものではないようです。

「女」だから使うのではなく、社会生活やメディアを通じて知識を学んでいると考えられます。

 

文章のなかに「女ことば」を用いることで、結果的に女らしさを過剰に表現したり、女はこのように話すべきだと促したりしているとすれば、「女ことば」は翻訳上の工夫ではなく、女性らしさの規範として人を縛る窮屈なものになってしまう危険性もあるのではないでしょうか。

 

どんな言葉をどのように用いるかは、男と女という2つに分類して考えられるものではなく、人種や国籍、年齢、職業、宗教などその人のアイデンティティの表れだと思います。

ことばによって偏見や差別を助長することがないような表現方法を工夫していくべきだと考えます。

 

 

【参考資料】

中村桃子著『女ことばと日本語』2012年、岩波新書

中村桃子著『語る-ことばが開く新しい社会』伊藤公雄・牟田和恵編『ジェンダーで学ぶ社会学[全訂新版]』2015年、世界思想社

[i] 部数から見る「ハリー・ポッター」完結 | 出版科学研究所オンライン (shuppankagaku.com)

[ii] 中村桃子著『ことばとジェンダー』2001年、勁草書房