アルバイト 求められるレベルはどこまで?

「塾の先生、アルバイトなのかな。問題の解説がすごくわかりにくい」

中学生の頃、通っていた塾での教え方に納得がいかず、母親に愚痴をこぼしてしまったことがあります。せっかくの授業なのに、問題ばかり解かされた上、解説は問題演習の時間の半分ほど。いつもの先生が休みで、代わりの人だったから授業形式に慣れなかっただけだと言われてしまえばそうなのかもしれませんが、中学生の頃の私には「アルバイト=適当に仕事をする人」という思い込みがありました。

大学生になって、お金を使う機会が増えるかもしれないと思うようになりました。そこで友人に勧められたカフェのアルバイト募集に応募してみたところ、面接の手応えはほとんどなかったものの、無事に採用決定。すぐに研修が始まりました。ドリンクの作り方や、接客のしかた、正しい言葉遣いなど、覚えることがたくさんあります。働くことの大変さを実感しました。一方で、私の中にまだ残っていた、アルバイトとは適当に仕事をする人というイメージから、まぁ適当にやってもなんとかなるだろうと心の片隅では思っていました。

しかし、研修が終わって店舗で働くと、そのような甘い考えはすぐに吹っ飛びました。レシピの一つの間違いも許されません。一番なんとかなるだろうと思っていた接客は、日本語も英語も通じない外国人がたくさん来るという想定外のことがあり、接客態度以前に言語の壁をどう乗り越えるかに苦戦しました。何より驚いたのは、同じアルバイトの先輩が、クレーム対応や返金対応、シフト作成までこなしていたことです。あとから分かったことですが、私の職場では、不定期に店舗に来る店長を除くと全員がアルバイトでした。アルバイトしかいないから、社員がこなすような業務までも任されていたのです。

このようなことには疑問を持ちます。社員がいないなら、アルバイトが責任を負うのでしょうか。お給料も、福利厚生も社員の方が待遇は格段にいいはずです。同じ仕事をこなしてもアルバイトはさまざまな面で社員に劣ることには、ひっかかりを覚えます。アルバイトが社員の仕事をこなせれば、社員の業務量が減り、人件費の削減に繋がることは分かってはいます。しかし、これでは、社員とアルバイトの採用を分けている意味もなくなってしまうのではないでしょうか。

社会に貢献するという意味で両者は変わらないものの、給与面や待遇面では大きな格差があります。冒頭の塾講師が筆者の考えた通りにアルバイトで、当人は適当でいいや、と思っていたのかもしれません。これが良いとは全く思いません。客からしたら、相手がだれであれ同じお金を払っているのですから。とはいえ、社員がするべきことまでアルバイトに求めるのは筋違いです。

働く人それぞれが、自分の能力に合う職場で、仕事量や結果に見合う給与を得られる社会になっていない現実を踏まえると、社員とアルバイトに求められる役割が異なる前提で職場は運営されるべきでしょう。