1ページにそれほど多くない文字数。93ページという短いページ数。日経のあなたへの一冊の作品のテイスト紹介でも「疾走感」の項目は、満点の5点だった。そのはずなのに余韻とは違うモヤモヤが残るような読後感。なんだか不思議な気分だ。
第169回芥川賞を受賞した市川沙央さんの『ハンチバック』を読んだ。ハンチバックとは「せむし(背中が曲がった体形)」という意味。主人公の女性は、先天性ミオパチーという筋疾患の難病を患っており背骨が湾曲しているため、本文中でも自身を「せむしの怪物」と呼ぶシーンがある。
著者も主人公と同じ先天性ミオパチーを患っており、重度障害者の受賞では初となる。ただ、受賞会見では「どうしてそれが2023年にもなって初めてなのか。それをみんなに考えてもらいたいと思っております」とコメントしている。
読んだ人は間違いなく、健常者の特権性や表面的な意味でつかわれている多様性という言葉を考え直すことにならざるをえない。そう思えるほど、鋭い言葉で健常者と障害者のコントラストを描きだしている。
「私はあの子たちの背中に追いつきたかった。産むことはできずとも、堕ろすところまでは追いつきたかった。」
例えばp.28の一文。中絶が問題視される中、障害を持つ自分の体中で赤ちゃんを育てるのもその後育児をするのも出来ない。けれども妊娠して堕ろすところまでは自分にも出来る。主人公にとって中絶することは、健常者と対等なフィールドに立つことを意味している。この「羨望」からは、健常者が持つ特権を見直さずにはいられなかった。
そして特に著書で市川さんが訴えたのは「読書バリアフリー」だ。
「私は紙の本を憎んでいた。目が見えること、本が持てること、ページがめくれること、読書姿勢が保てること、書店へ自由に買いに行けること、―5つの健常性を要求する読書文化のマチズモを憎んでいた。その特権性に気づかない『本好き』たちの無知な傲慢さを憎んでいた。」
*マチズモ:健常者有利主義の意味
読んでいてドキッとした。当たり前に目が見え、椅子に座り本を持ちながらページをめくり、この記事を書くために朝一番に書店に本を買いに行った自分の行為は、「特権性」を孕み、それができない人からすれば憎まれるような行為だと1度でも考えたことはなかった。
読書バリアフリー法というのが2019年に成立してはいるものの、市川さんは「読みたい本を読めないのは権利の侵害だと思うので、環境の整備を進めてほしい」とさらなる進化を訴えている。
私たちが生活の中で当たり前だと思っていることを、当たり前でないと気づくことは簡単なことではない。だからこそ、こうして何かの拍子に考えられる瞬間が訪れた時はじっくり向き合ってみたい。きっと社会の見え方が変わるから。
参考記事:
26日付 朝日新聞夕刊 2面 「講評から振り返る 第169回芥川賞・直木賞」
7月19日 日経電子版 「芥川賞・直木賞2023年上半期あなたへの一冊」
芥川賞・直木賞2023年上半期 あなたへの一冊:日本経済新聞 (nikkei.com)
7月21日 日経電子版 「芥川賞の「ハンチバック」市川沙央さん、障害当事者の叫び」
芥川賞「ハンチバック」市川沙央さん、障害当事者の叫び – 日本経済新聞 (nikkei.com)
参考資料:
日テレNEWS 【解説】“本好きたちを憎んでいた” 芥川賞受賞「ハンチバック」…著者の市川さんが作品で訴えたことは 【解説】“本好きたちを憎んでいた” 芥川賞受賞「ハンチバック」…著者の市川さんが作品で訴えたことは|画像詳細 (ntv.co.jp)