絶えない銃の犠牲 なくすためには

タイの託児施設で6日に元警官の男が銃を乱射するなどして幼児ら37人が死亡した事件が起きました。涙を流す遺族。たむけられた花。ミルクの残った哺乳瓶。銃の暴力はいまだ絶えません。人の命を一瞬にして奪い、遺された人の心を深く傷つけるのです。

 

そんななか、銃規制を訴えるために立ち上がった市民がいます。服部政一さんと妻の美恵子さんです。服部夫妻は、今から30年前に16歳だった息子、剛丈さんを亡くしました。米ルイジアナ州に留学していた剛丈さんが、パーティー会場と間違えて、ハロウィーンの仮装をして民家を訪ねたところを、家人に射殺されたのでした。銃の犠牲となった息子に駆り立てられるように、服部夫妻は銃規制運動を続けてきました。1993年に日米182万人分の請願署名を当時のクリントン米大統領に届け、犯罪歴のある人物などに銃の販売を規制するブレイディ法の成立を後押ししました。

事件から30年の集いで話す服部政一さん(右)と美恵子さん夫妻=「憎むより、愛情を」息子射殺された両親、30年経ても変わらぬ思い:朝日新聞デジタル (asahi.com)より引用

30年にわたる活動にいったん区切りをつけようと、命日前の9日に名古屋市で催しが開かれました。主催の「YOSHIの会」の会長、平田雅紀さんのゼミに属していたこともあり、筆者も参加しました。

物腰柔らかな服部夫妻がクリントン米大統領に対してまっすぐと銃規制を訴えたこと。加害者について「彼もまた、アメリカの銃の暴力による被害者だ」と話し、憎しみを一切あらわにしなかったこと。事件を受けて渡米した後の帰国の機内で、米国の家庭から銃撤廃を求める署名呼び掛け文の原文を執筆したこと。

一市民として銃なき世界を目指して自ら行動に移した夫妻の姿に感銘を受けました。もし大切な人の命を銃弾により奪われたなら、深い悲しみに打ちひしがれたり、加害者を憎んだりしてしまうものでしょう。しかし、それを乗り越え、より明るい未来のために運動を続けてきたのです。

米国では銃の犯罪が起きるたびに、銃規制が盛り上がりを見せています。しかし、強い規制にはなかなか結びつきません。反対の声があるからです。

背景には、銃の所持を市民の基本的な権利とみなして規制に反発する保守層や圧力団体の存在があるとともに、身の安全確保のためには自ら銃を所持する必要があると考えざるを得ない治安の実態など、米国特有の事情がある。

反対派との対話なしには、銃なき世界を叶えることはできません。

今も絶えない銃の犠牲。なくすには、銃の犯罪を認識し、声をあげなければなりません。と同時に、自分とは違った立場にある人と対話し、銃規制に向けて議論を推し進めていくことが欠かせません。

日本でも、7月に安倍元首相が銃撃される事件が起きました。銃の脅威は、私たちと決して無縁ではないのです。

 

参考記事:

19日付 朝日新聞朝刊(愛知14版) 1面(天声人語)

8日付 活動区切り 両親「バトン託したい」 銃規制の願い次代へ服部さん銃撃死30年:地域ニュース : 読売新聞オンライン (yomiuri.co.jp)

7日付 哺乳瓶握りしめたままの男児 出稼ぎ先から駆け付けた母は涙に暮れた:朝日新聞デジタル (asahi.com)

18年8月7日付 なぜ銃乱射が止まらない?…米国に根差す特有の事情 : 読売新聞オンライン (yomiuri.co.jp)