私は動物園が好きです。ワニやオオカミ、ライオンはかっこいいし、プレーリードッグやアザラシは可愛いから。人間と違う生き抜き方をする生物を見て、知的好奇心が満たされるから。
檻に閉じ込められた動物を見て、「かわいそうだ」「動物園はなくすべきだ」と主張する人がいます。まあ、気持ちはわかる。けれど、私たちに動物の幸せなんてわかるのだろうか。サバンナでのびのびと「動物らしく」走り回り、弱肉強食の世界で命の危険にさらされながら生きるのと、毎日確実に食事を与えられ外敵からも守られ、何もしなくとも寿命が確約されているのと、どちらが幸せかなんて。そもそも動物園にいる彼らは前者の生き方を知らないのだから、「かわいそう」は人間のエゴにすぎないんじゃないか。走り回り狩猟する本能を押さえつけられていることによるストレスはあるかもしれないけれど、そもそも人間と動物は対等じゃないし。そんなふうに思っていました。
今日の日経新聞朝刊、The STYLEで特集されていたのは、日本で初めて誕生してから今年で140年経った「動物園」。動物福祉の観点から、飼育環境の改善を図る取り組みが世界に広がっているのだとか。
記事によると、ニューヨークのブロンクス動物園では、ゴリラの展示施設まで鬱蒼と木々が茂る小道が続くのだとか。アフリカの熱帯雨林を徹底的に再現することで、動物の展示場所と来園者のスペースを生息地のように一体的に造園する「ランドスケープ・イマージョン」という手法を取り入れています。
確かにそこまでしてくれたら来園者もわくわくするし、動物もよりのびのびと暮らせそうです。でも、日本の動物園は公立のところは少なくありませんし、民間企業でも経営は楽でありません。そこまでする必要はあるのでしょうか。
「ここで見たものが、地球環境に興味を持つきっかけになればうれしい」
読み進むなかで、神戸どうぶつ王国の社長、佐藤哲也園長の言葉を目にしました。改めて考えたのは、現代における動物園の存在意義です。
確かに、私のような来園者の知的好奇心を満たすためだけにあるのではない。人間がこの先も地球上で生き続けるために生態系を保全するには、今人間の手によって壊れつつある世界の自然環境に目を向けなければいけない。彼らに興味を持ち、彼らの暮らしを理解する第一歩として、動物園には大きな役割が期待されています。
だとするならば、動物園のあるべき姿は、「より自然に近い形で動物を飼育すること」。腑に落ちました。
生態系が崩れ、人間の暮らしに悪影響を与えることの危機を常に意識していることは難しいでしょう。勉強しないとわからないことばかりです。地球温暖化や畜産の拡大がアマゾンの森林火災を引き起こしていると言われても、ピンとこない。
でも、そこで生きる動物たちに思いを馳せるのは、比較的簡単です。「かわいそう」「彼らの生き生きとした姿を守りたい」という思いの方が、よほど人を突き動かします。動物の野生での本来の姿を知り感動した経験のある人はなおさら、「彼らの住処を保全しよう」という気持ちになるでしょう。
しかし人間の都合で自由を奪われ「見せ物」になっている状態が当たり前だったらどうでしょうか。私のように自分本位な理屈で自らの振る舞いを正当化しがちな人が、アマゾンの動物たちの姿をリアルに想像することは余計難しくなるでしょう。外国人が驚く日本のペットショップの様子も、人間本位すぎる感覚が当たり前となっている日本社会の現実を映し出しているのかもしれません。
結局、私の考えは「人間がこの先も地球に住み続けるため」という人間本位なものにとどまります。けれど、人間が生き続けるためにも、彼らと「共存する意識」は必要だし、その生き方に感動しリスペクトする気持ちがあった方が行動に移しやすいのだと思います。そしてその気持ちを醸成するためにも、動物園改革は必要だと、考えを改めました。
今月、また大好きな動物園に足を運ぶ予定です。今までになかった視点から、彼らの暮らしを覗いてこようと思います。
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5日付 日本経済新聞朝刊 9、10、11面 NIKKEI The STYLE 「動物園 140年のメッセージ」