新語・流行語大賞が発表され、年間大賞に「トリプルスリー」「爆買い」が選ばれました。トップ10に入った「アベ政治を許さない」「SEALDs」が象徴するように、今年は国民の政治関心が高まった1年でもありました。関心の高まりの背景には安保関連法の成立があり、その様子をテレビ新聞各社は連日報道しました。その報道をめぐり、表現の偏りが批判されたり、書店の「民主主義を考えるフェア」が一時中止されたりと、公平・中立に人々が敏感になったように思います。
本日の朝刊で朝日新聞が取り上げている「偏り」「公平」について考えます。「偏り」と聞いて私がまず思い浮かぶことは「右」「左」という言葉です。イメージとしてどういう意味なのかは想像がつき、「この表現はどちら寄りですか?」と聞かれれば、多くの人が答えられると思います。しかしこのなんとなく持つイメージこそが危険なのではないでしょうか。それぞれが抱くイメージは一人ひとりの主観でしかないのに、その主観が正解だと思い込んでしまっているからです。
書店で店長をしている福嶋聡さんは記事の中で「真ん中はどこにあるのか」と言っています。自分が真ん中なのでしょうか。私は右とか左とか真ん中とか、その議論をすることにそもそも意味がないのではないかと思うようになりました。「この報道は偏っている」と批判する人は、自分の思想からすれば偏っているだけで、その人の考えが中立であるとは限りません。
これは当たり前のことですが、今の社会では人間が取材し、報道しています。ロボットが書いているわけではありませんから、その人たちの考えが反映されることはごく普通のことです。その考えをもとに私たちに伝えているのです。その与えられたものをどう考えるかは自分次第。幅広い考えに触れて、自分で考える力を持つ必要があると思います。
参考記事
2日付朝日新聞朝刊(東京13版)「『偏り』『公正』って?」39面(社会面)