言葉には、力があります。
発信する立場になり、一つ一つの言葉の選び方や文の構成が、どれだけ読者の受ける印象を変えるのか痛感するようになりました。新聞を読むことで、一つの記事が人の心や行動を大きく動かすことを実感しました。現状を伝える人がいない限り、社会を良くしようと外から働きかける人は生まれません。権力者の振る舞いが国民に周知されなければ、批判が消え、一部の強者のみにとって都合の良い政治がなされることもあり得ます。
昨日朝の朝日新聞の一面では、非常に心配なことが報じられていました。
ロシア、報道統制を強化 『偽情報の拡散』に刑罰
ロシアのプーチン大統領は4日、ロシア軍の活動に関する報道や情報発信をロシア当局が「フェイクニュース」とみなした場合に、記者らに対して最大15年の禁固刑を科せる法案に署名しました。新法では、公の場での「軍事行動の停止の呼びかけや、軍の名誉や信頼を傷つける活動」も禁じています。これを受け、米ブルームバーグ通信やカナダの公共放送局CBC、朝日新聞や日経新聞などはロシア国内での取材活動を一時停止。米CNNとABC、CBSもロシア国内での放送を一時的に止めると発表しました。
日本国憲法第21条では、表現の自由が保障されており、検閲を禁じています。これは民主主義の根幹とも言えるでしょう。全てを把握し、正しい判断ができる完璧な人は存在しない。だから、特定の権力者だけでなく、だれもが意見を発し議論を交わせるようにすることで、最善の選択を期待する。様々な角度からの意見にスポットライトをあて、事実を伝えて議論を促すメディアの役割は極めて大きいものです。
表現の自由の保障の背景には、第二次世界大戦下の日本国内の「言論の死」、そしてそれによる甚大な被害があります。数々の言論統制法規が作られ、新聞をはじめとするメディアは二重三重の厳重な検閲によってがんじがらめ。ほとんど「官報」と化したメディアは、政府や軍部を批判できなくなったどころか、国民の戦意高揚の先導役となってしまいました。こういった状況下で、国民が「少数派」意見である戦争反対を訴えるのがどれだけ危険なことだったか、想像に難くないでしょう。国の指導層が、自分達が正しいと思い込み突き進んでしまった一因は、ここにあります。
自己の主張に反対する声を封じ込めようとする時は、自らが傲慢になっている危険性を十二分に考慮すべきです。ときには人を傷つけ、命を奪う行為を推し進める選択も許される権力者はなおさら、多くの人の声に耳を傾け、彼らの思いや境遇を深く想像しなければなりません。対話的、建設的な議論がなければ、自身の論理の綻びにも気付くことがないでしょう。
ロシアの報道規制の強化には強い懸念を抱きます。混乱した状況だからこそ、正確な事実を伝えるプロである、世界の報道機関の情報伝達の道を絶ってはなりません。新たな法律の適用範囲や運用状況を一刻も早く示し、ロシア国民、そして全世界の市民の、知る権利を保障することを求めます。
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