2020年7月、長期にわたり梅雨前線が本州付近に停滞し、東北地方から西日本にかけての広い範囲に記録的な大雨をもたらした。熊本県内の死者は65人、負傷者は47人だった。これまで、県内の人吉市や球磨村など26市町村で災害救助法が適用され、被災者の一部を対象に、窓口負担なしで医療・介護を受けられる免除措置が講じられてきた。この特例が今月末で終わる。
この点を考えると、21年12月は、「令和2年7月豪雨」の区切りの月と言えるかもしれない。でも、それは行政が一方的に決めたもの。現場はどれだけ原状回復しているのか。多くの被災者は立ち直れたのだろうか。19日、私は被害の大きかった人吉市に行った。
雨が少ない冬の球磨川は、とても穏やかだ。水の透明度が高いので、浅瀬では川底の石が良く見え、少し深さのある部分では水がエメラルドグリーンに輝く。豪雨時の暴れぶりとは似ても似つかない。
午後3時、川沿いの土手で犬の散歩をする女性(82)がいた。10歩ほど歩くと、立ち止まり、少し休んでまた歩き出す。その繰り返しだ。少し足腰が悪そうに見えた。
話を聞いてみると、昨年7月の氾濫の際、自家用車を使って避難しており、同じく車で逃げていた対向車がスリップしてきて衝突。自身は全身を打撲、助手席に座っていた夫は手に握っていた杖の衝撃であばら骨を折る大けがを負った。自力では身動きが取れなかったため救急車を呼び、高台にある病院に搬送されたものの、人手が不足していて治療は受けられなかった。お茶と駄菓子が配られたが、体が激しく痛み、飲み物しか口にできなかったそうだ。
ボランティアが自宅の片づけをしてくれているという話を聞き、全身の痛みに耐えながら病院から自宅に戻った。球磨川の海岸から20mほどにある自宅は天井まで水没。飼っていた3匹の犬のうち2匹は溺死していた。生き残った1匹の犬と今、散歩をしている。
愛犬のパグ(犬の種類)は散歩中の犬が近づくと、吠えながらリードを引っ張って相手に近づこうとする。「きっと嬉しかとですよ、2匹が死んだあとはずっとこんな感じなんですよ」とおばあさんは言った。災害の爪痕がここにも残っていた。
川辺川ダムのことも聞いてみた。川辺川ダムは、球磨川の支流・川辺川に計画された。計画が発表されたのは今から50年以上前の1966年。用地収用に伴う補償や環境への負荷などを問題視する声があり、工事は中止された状態が続く。国交省はダムが完成しきちんと治水効果を発揮していれば、20年7月豪雨で人吉市街を流れた最大水量の約37%を削減できたとする試算を示している。しかし、その女性から返ってきた答えは少し意外なものだった。
「ダム以外にもやれることはいっぱいあると思いますよ」。女性の自宅付近の球磨川には水中に根を張る柳が生い茂っており、氾濫の前から災害防止のために切ってくれるよう陳情していた。しかし行政は「自治会で対応してください」と言うだけだった。川底の砂もそうだ。水の流れで上流から土砂が運ばれ、それが積もると氾濫の危険が高まる。女性はそれを長年にわたって指摘していたが、行政が動いたのは災害後だった。「(行政は)何か起きないとなんもせんですもん」。
柳の切除や土砂の運び出しよりも、ダムの方が治水効果は大きいはずだ。氾濫で大きな被害を受けたこのおばあさんがダム以外の治水方法を強調したことに私は驚いた。
もう一人、話をうかがった。その男性(52)はこれまでの氾濫で、自宅の水没を2回経験している。その方は既に完成しているダムの効率的な利用を訴え、川辺川ダムの建設再開を主張することはなかった。
お二人とも川辺川ダムの建設に対して否定的なことは言わなかったが、川辺川よりも身近な球磨川の治水対策の課題を強く感じているようだった。
私は、被災者の心情を分かっているようで分かっていなかったかもしれない。球磨川流域の人たちへの同情の気持ちからダム建設は再開すべきだと考えていたが、取材を通してその前提が少し崩れた。
今の私は、川辺川ダムの建設の賛否は決めかねている。仮にその判断をするとしたら、科学的なデータに基づく手法があるだろう。あるいは報道等で被災者のダム計画への声を知り、それをもとに自分の意見を決めるというパターンもあり得る。ただ、被害の状況を知ったとしても、そこから被災者の感情を推し量って断定するとしたら、少し慎重さが求められるのかもしれない。現地で話を聞いて思った。
参考記事:
朝日新聞デジタル「川辺川の流水型ダム、従来予定地に建設へ 昨夏氾濫の球磨川支流」
朝日新聞デジタル「川辺川ダムあれば『水量4割減』 7月豪雨で国交省試算」
朝日新聞デジタル「『悲惨な体験は嫌』求めたダム 豪雨被災地でも戸惑い」
参考資料:
国土交通省国土地理院「令和2年7月3日からの大雨による浸水想定図」