歴史の教科書を読んでいると、まるでドラマのような予測できない惨事が起こる。そんな時、国ごとの政策の違いが大きくその後の命運を分けることとなる。たとえば1929年にニューヨーク市場の株価が暴落したことをきっかけに、多くの国の経済を奈落の底に突き落とした世界恐慌。
大不況からいかに早く回復できるかは、各国がどのような政策を取るかにかかっていた。米のニューディール政策や仏・英のブロック経済など、世界の情勢をにらみ、自国の強みを生かした政策には、国ごとの色があって興味深い。今になって一定の評価を得ている政策でも、当時は先が予想できない手探り状態のなかでの不確実な試みであったに違いない。
新型コロナウイルスの世界的な拡大は、世界恐慌の大混乱を想起させる。歴史を動かす前代未聞の大惨劇によって、各国は迅速かつ適切な決断を迫られているのだ。ここで英国の政策を見てみると、日本とは大きく異なったスタンスを取っていることが分かる。
サッカー欧州選手権で市内に集まって応援する人々。マスクをする観客はほとんど見られない(7月11日、筆者撮影)
街中を見渡しても、ロンドンではマスクを着けずに歩く人が大半を占める。同じパンデミックの世界で生きているとは思えないほどに。そもそものコロナに対しての捉え方が違うようだ。国民性の違いなのか、報道の仕方の問題なのか。英国の感染状況は、連日3万人を超えている。多い時は5万人を超えることもある。日本の人口が1億2000万人であるのに対し、英国は6600万人と半分ほどであることからも、感染者数は決して少なくないといえる。
それにもかかわらず、7月の欧州サッカー選手権の決勝では、若者が中心地に集まってお祭り騒ぎをしていた。6月のテニス、ウィンブル大会も例年通りに開かれ、マスクなしの観客がほとんどであった。日本では多くのフェスティバルが中止を余儀なくされるなか、英国でその動きはあまり見られない。日本人からすると、正気の沙汰とは思えない。筆者も初めて街の光景を見たとき、あまりの落差に驚きを隠せなかったのを覚えている。サッカー欧州選手権を応援する人たち(7月11日、筆者撮影)
筆者の周りでも感染者と接触したことで隔離される友人は数知れず。彼らはただ「運が悪かった」として、数週間後には何事もなかったかのように日常生活に戻ってくる。むしろ、感染者と接触しない方が難しいとでもいわんばかりである。中には3回の隔離を経験している豪の者もいた。また7月19日から英政府は新型コロナ対策の規制を全面的に解除した。屋内でのマスク義務を撤廃し、劇場やスタジアムでの観客数制限もなくなった。ナイトクラブも通常通り営業している。
ウィンブルドンテニス大会(6月5日筆者撮影)
ただやみくもに規制を緩和しているわけではない。マスクや人数規制の代わりに簡易型のコロナ検査(筆者の学校では週に2回のコロナ検査が必須である)が義務付けられていたり、感染者との接触者が隔離を免れるにはワクチン接種を完了していなければならなかったりする。
ジョンソン首相は、会見で述べたように「living with COVID(コロナとの共生)」を模索している。アフターコロナ、ゼロコロナという考え方は幻想でしかないのかもしれない。そう考えると、感染対策と人々の社会生活に折り合いをつけようとする英国の試みも納得できる。
何が最適解なのかは時間が経ってみないとわからない。未知の事態に突き当たった今、私たちは手探りで進んでいくしかない。何年か経って歴史を振り返ったとき、どの国の政策が最適解だったといえるのだろうか。
かつてない大混乱だからこそ、大切なのは慎重に学ぶ姿勢。他国の政策を吟味しながら、良い部分だけを採り入れて吸収していくことが正解にたどり着く鍵となるのだろう。
参考記事:
14日付 朝日新聞デジタル「世界の新型コロナ感染者」
9日付 朝日新聞デジタル「(時時刻刻)ウィズコロナへ、転換探る 専門家「重症・死者減らせる局面」」