元NHK大越さん 「視聴者代表」としてのニュース報道

「もの言うキャスター」。確かにそういう人だった気がする。

大越健介さん。1985年にNHKに入局し、報道局政治部やワシントン支局での勤務を経て2010年3月末から5年間、夜9時放送のニュースウォッチ9(以下NW9)でメインキャスターを務めた。自らの考えをしっかりと伝えるニュース番組は当時のNHKには珍しく、印象に残っておられる方も多いだろう。私は当時、小学生や中学生だったが、手を組み落ち着いた口調で話しかける様子は何となく覚えている。

大越さんの作るNW9はどんなものだったのか。ご自身の著書『もの言うキャスター』をもとに振り返ってみたい。

『もの言うキャスター』(筆者撮影)

まず、キャスターと言っても誰かが書いた原稿をそのまま読んでいるわけではない。制作責任者が書いたニュースの各項目の前後につけるコメント(前説、後説)はキャスター自身が決める。例えば、前説は大越さんの手によってこのように書き換えられたという。

<書き換え前>

「食料品などの生活必需品を対象に、消費税を本来の水準より低く抑える『軽減税率』。その導入に向けて、自民・公明両党はきょうから関係団体のヒアリングを始めました」

<書き換え後>

「次は私たちの家計に直結する議論です。自民・公明両党は、きょうから軽減税率についてのヒアリングを始めました。食べ物や飲み物は生きていく上で欠かせないものですから、その税率を下げて負担を軽くするということは、低所得者対策としても納得のいく政策だという声があります。しかし、軽減税率を適用する場合に線をどこで引くのか。ひとつひとつ考え出すと、この問題、簡単でないことがわかってきます」

 

「伝え手としてだけではなく、受け手である視聴者のみなさまを意識したコメントに変えていく」。大越さんがこのように視聴者を意識して番組をつくる理由は、自身の考えるジャーナリズムの役割にある。

「『私は批判的です』と口にすればいいわけではない。(中略)視聴者のために材料をどれだけ豊富に提供できるかが力の見せ所であって、その結果として、権力の暴走を抑止する力になる、あるいはより正しい方向に近づける力になるということなんです」

メディアすなわち「媒体」としての側面を理解しているからこそ、視聴者をいつも意識してきたのだろう。そこで重要となってくるのが視聴者との共感であると大越さんは考えている。共感を生むために、例えば相方の井上あさひアナウンサーとニュースの区切りに無言で顔を見合わせる。「悲しいですね」などとわざわざ口に出さなくても視聴者に伝わるし、その方が視聴者の共感を生みやすいとNHKの元キャスターの池上彰さんは大越さんとの対談の中で指摘する。なるほど、確かに当時のNW9は二人の相性が抜群によく、「名コンビだな」と私は思っていたが、それは両者の共感に視聴者である私も共鳴していたことも理由にありそうだ。

大越さんを語る上で外せないのが、徹底した現場主義である。私がこの論考を書く上で参考にしている『もの言うキャスター』は、タイトルからすると著者の大越さんが社会の問題をビシビシ裁く姿を連想してしまうが、実は大半がキャスター時代の取材の記録である。NW9のキャスターである以上、基本的に平日の夜9時は渋谷のスタジオにいなければならないため、休みをつぶしながら自ら取材に出かけていたようだ。この原動力は前述の「視聴者に材料を提供する」というジャーナリズムの役割に由来するのだろう。「真実はディーテール(細部)に宿る」。大越さんの言葉だ。

感性がとても人間的であることに気づく。取材というと「意地でも情報を集めなければならない」という使命感にとらわれがちだが、一人の人間として取材相手に向き合う姿勢こそが重要なのだろう。例えば、東日本大震災の被災地の仮設住宅での取材記には「今回も現場に取材に来てよかった。ささやかではあるが大事な被災地の問題を知ることができた。そして何より、切ない環境にあっても何とか適応し、仮設のお隣どうし、笑顔を見せる人たちの姿に、またひとつこちらの方が元気づけられた思いだった。」と記している。

大越さんは視聴者との共感を生むためにも「生身の人間としてニュースを伝えたい」と述べており、キャスターである自分の感情が声色や言葉づかいに表れる場合があってもいいと考えている。取材でジャーナリストとしてではなく一個人としての感性を大事にするのも、視聴者との共感のためなのかもしれない。

 

このように、ある程度の独自色を出しながらNW9のキャスターを務めていた。もちろん、その報道姿勢に対しては賛否両論あると思うが、一つ付け加えておきたいのが、周りの反対を押し切って完全に独走していたわけではないということである。著書には、「時計仕掛けのようにニュースは読みたくはないと思っていましたし、会社にもそれを許してもらっていたんです」と記されており、組織の理解を得ていたことがうかがえる。

国境なき記者団のデータによれば、大越さんがNW9を担当した5年間のうち、前半の3年間は日本の報道の自由度がそれまでと比べてはるかに高かった。予算に国会の承認が必要だったり、経営委員会の委員が国会の同意に基づいて内閣総理大臣に任命されたりするなど、その独立性が構造的に脆弱なNHKにとって報道の自由度は死活問題であり、当時の自由度の高さも、大越さんの「NW9改革」を後押ししたのかもしれない。

当人は今年6月にNHKを定年退職。10月からはテレビ朝日の報道ステーションでメインキャスターを務めることが決まっている。新天地ではどんな共感の場を提供してくれるのだろう。

 

 

参考記事:

読売新聞オンライン「元NHK大越さん、10月からテレ朝『報ステ』キャスターに…『神経研ぎ澄ます』

朝日新聞デジタル「大越健介と震災『事実を重ねる。大事なこと大事と言う』

 

参考資料:

大越健介著『もの言うキャスター』(主婦と生活社、2015年)

2021 World Press Freedom Index 、国境なき記者団