若者の言葉遣いとかはヤバイ

普段、自分の言葉遣いを意識していますか。

 

文化庁が発表した国語世論調査の結果によると、断定を避ける「わたし的には~」「~とか」などの「ぼかし言葉」が幅広い世代に浸透しているそうです。

 

メールやLINEといったツールを使えばどんな場所にいる人とも連絡を取ることができるようになりました。これまでに比べると書き言葉を利用する機会が増えました。人と会話する中で自分がどのような言葉を選んでいるのかは、なかなか気が付きにくいものです。それが文章にしてみると、自分が頻繁に使う言葉や言いまわしが見えてきます。私は何かを伝えようとするときには、相手に誤解を与えて齟齬が生じないように、多少くどく説明します。そんな私からすると、「ぼかし言葉」は断定を避け相手との距離を保つ上手な便法のように映ります。でも、不必要なぼかしが蔓延していないでしょうか。

 

私「明日何が必要だっけ?」

友達「印鑑とかだよ~」

 

簡単な会話の例ですが、この後に「その『とか』ってなに?」と聞き返してみたらどうでしょう。別に意味はなく無意識に付け足しているだけということがあります。相手の顔が見えないコミュニケーションが当たり前になったことで、断定を避けた表現が重宝がられるようになり、それが意味をなさない言葉として、何となく付け加えられるものになった。今や対面の会話でも当たり前のように「ぼかし言葉」が使われるようになった。そんな変化が進行中なのではないかと思います。

 

人との摩擦を避けることができる、便利な「ぼかし言葉」ですが、時と場合を考えず無意識に使っていると信用を失いかねない代物です。例えば仕事のやりとりであいまいな表現をすれば、「ちゃんとした定義や断定を避けることで、いざというときにうやむやにする気なのではないか」という疑念を相手に生じさせることになりかねません。

 

面と向かって話すのでないコミュニケーションでは、言葉の表現のみによってあなたの印象が決まります。どんな表現をしていて、どんな印象を相手に与えるのだろうか。送信ボタンを押す前にもう一度考えてみてはどうでしょうか。

 

9月18日付朝日新聞朝刊(東京13版) 37面社会「「やばい」→10代9割「とてもすばらしい」」

同日付日本経済新聞朝刊(東京13版) 42面社会「言葉のぼかし表現浸透」

同日付読売新聞(東京13版) 37面社会「若者的には「ぼかし言葉」」