先週、近所の市立図書館で一冊の本と出会いました。渡辺考さんの『戦場で書く 火野葦平と従軍作家たち』です。5年前にNHK出版が出した作品で、表紙のデザインは、軍服を着た男性とカラフルな空が。鮮やかなコントラストが印象的な仕上がりになっています。
図書館で借りた渡辺考さん著『戦場で書く 火野葦平と従軍作家たち』、NHK出版
そんな独特なイラストに惹かれて、さっそく昨日から読み始めました。構成は、プロローグ、第1章~第6章、エピローグ、あとがきです。月曜日の午後の段階で、第3章まで読み終わりました。途中までになってしまいますが、作品の内容や感想を読者の方と共有できたらと思います。
既読の第3章までは、以下のような内容になっていました。
プロローグ ふたつの戦場
第1章 戦争作家、誕生
第2章 日中メディア
第3章 戦争ペン部隊、戦場をめぐる。
プロローグや第1章では、渡辺さんがどうして葦平の足跡を追いたいと思ったのか、葦平の生い立ちなどについて触れています。第2章と第3章は、芥川賞を受賞し、時の人となった葦平のことや、従軍作家のひとり林芙美子の中国入りしたときの様子が描かれています。
なかでも興味を持ったのは、戦時中の国家のメディア戦略です。日中戦争において、日本政府が、メディアをどのように扱おうとしていたのかに言及しています。
1937年(昭和12)7月11日、首相官邸に新聞通信各社代表40名を集め、近衛は、盧溝橋事件は「中国側の計画的武力抗日」であると述べ、「挙国一致」で政府の方針に協力するように呼びかけた。
この要請をメディアの代表格であった同盟通信社が受け入れ、その後は「挙国一致報道」が広がっていったとされます。あまりにあっさりと報道機関が受け入れたことに驚きました。一作品を読んだだけで当時のマスコミを十分知ったとはいえませんが、政府の言いなりと化してしまう様は、読んでいて情けないものでした。また、国家が簡単にメディアを操れることに恐ろしさを覚えました。戦時中だけでなく、私たちが生きている現代でも、忘れてはいけないことだと感じます。
作中で、作家の赤田次郎さんはこう語ります。
正当な言論が弾圧されるところから、ある一部の権力が暴走して戦争が始まる。それ以外に、戦争というものは始まりようがないというね。だから、どんなときでも報道の自由、言論表現の自由っていうのは保障されていなければならない
正当な言論を守る。そうするために、日中戦争が起きた頃のメディアはどういった対応をすべきだったのか。そして今。ネットが発達し、玉石混交の情報が飛び交いあう中で、どうやったら真っ当な言論を守ることができるのか。二つの問いへの答えを探しながら、後編を読もうと思います。
参考記事:
3月5日朝日新聞デジタル版「軍隊生活描いたスケッチ帳展示 小竹の戦争資料館」
参考資料:
渡辺考『戦場で書く 火野葦平と従軍作家たち』、NHK出版、2015