2月1日、ミャンマーに激震が走りました。ミンアウンフライン総司令官率いる国軍が、クーデターを強行。アウンサンスーチー国家顧問やウィンミン大統領ら、政権与党の国民民主連盟(NLD)の幹部を一斉に拘束。僅か数時間で、国軍は政権を奪取し、非常事態宣言が発令されました。
今回の記事では、筆者の友人で、国内第二の経済都市であるマンダレー在住のJさんに話を伺います。彼女は、マンダレー大学の国際関係学部に在籍中。しかし、昨年3月にコロナ感染症の第一波が襲来して以来、大学はずっと休校状態です。ミャンマーは通信環境が悪いため、オンライン授業も実施されていません。9月に第二波が広まると、アルバイトの退職も余儀なくされ、現在は無職となっています。
ミャンマーでは、都市部の大学生が市民運動の陣頭に立って、民主化を訴えてきた歴史があります。そこで、大学生世代の意見や主張を是非聞きたいと思い、難関大学で学ぶ彼女に急遽インタビューを申し込んだのです。前編・後編の2部に分けて、お送りします。
――まず、2月1日に何をしていましたか。
朝起きたとき、全ての電子機器が通信会社の電波に接続できなくなっていた。理由が分からず、不安な気持ちになった。代わりに、家の固定回線に繋いで、Facebookを開き、ようやく事実関係が分かった。民政が崩壊したと分かり、悲しみや怒り、恐怖、様々な感情が全身を駆け巡った。ミャンマーの未来や希望が全て打ち砕かれたように感じた。
――1月の時点で、クーデターの発生を予想していましたか。
軍のクーデターを恐れてはいたが、本当に起きるとは思っていなかった。スーチーは、国際司法裁判所の審議で、ロヒンギャへの攻撃を指揮した軍司令官を庇い、擁護していた。恩を売られた軍が、まさか裏切るとは…。
――外に出てデモに参加しましたか。
国軍に対し直接抗議することは、解決策になり得ないと思ったので、外出しなかった。NLDのスポークスマンも、外出したり、暴力を用いたりしないようにと、呼びかけていた。なぜなら、88年の民主化運動の際に、デモに参加した市民が軍と衝突し、多数の死傷者が出たためだ。多くの学生が拘束されて、拷問を加えられた。今回も、路上に軍人が立って見張っている。身の危険を恐れ、ミャンマー国民はデモを実施していない。
――国軍のクーデターは、国民の支持を得られていますか。
軍は人々の怒りを鎮め、安心させようと試みているが、そうなるはずがない。どんな政策を実施しようが、軍が政治に関わること自体が問題だ。国民は一丸となって、民主主義が回復するまで、戦い続ける。
――抗議活動の詳細を教えて下さい。
主に二つの手法で展開されている。一つ目は、街中で騒音を引き起こすことだ。老若男女問わず、国民全員が、夜間に鍋やフライパンを打ち鳴らしたり、車やバイクでクラクションを鳴らしたりしている。ミャンマーにおいて、騒音を出すことは抗議の意思表示や悪霊退散を願う意味合いがあるからね。二つ目は、SNS上での情報発信。#save_myanmar #reject_military #civil_disobedience などのハッシュタグを活用して、軍政反対を訴えている。プロフィール画像を、NLDのイメージカラーである赤色に変更したり、スーチーのイラストが入ったフレームを使ったりするのが流行だ。
――Facebookへのアクセスが遮断されたと聞いたのですが。
軍政に反対する主張や情報の拡散を防止すべく、軍は4日未明にFBへの接続を遮断した。ただ、VPN接続を使えば、アクセス出来るので問題ない。ツイッターやインスタグラムも併用している。
――誰が抗議活動を主導していますか。
NLDの最高幹部らは、全員拘束されてしまった。代わりに、88年の民主化運動時に学生団体の指導者だったミン・コー・ナイン氏とコー・ジミー氏の二人が運動を指揮している。軍が拘束を試みる前に自宅を逃れ、現在の居場所は不明。ただ、SNSを通じて、私たち国民を鼓舞し続けている。加えて、NLDの国会議員らは、クーデターの翌日に身柄が解放され、今日も首都ネピドーで独自議会を開催している。彼ら彼女ら選良の活動に、期待が懸かる。
インタビューを通じて、クーデター当日の衝撃が強く伝わってきました。香港やロシア、タイの反政府運動と異なり、集団行動を起こさずにSNS上で抗議活動を展開している点が印象的です。軍がFacebookへの接続を遮断させたことを鑑みると、嫌がらせは意外と効いているかもしれません。後編では、社会や経済への影響を詳報します。